1990年9月に、横浜YMCAでは歴史的課題を学ぼうと会員による旅(茂木雄団長)を計画し、7人の代表団(委員・職員)が光州YMCA70周年記念式典に出席し祝意を伝えました。式典に先立ち、一行は1980年の光州民主化運動に立ち上がり、命を失った犠牲者の眠る市民墓地を訪れ、祈りを捧げました。茂木団長は「YMCAの先輩、若くして犠牲となった学生など、YMCAにゆかりの深い方々の墓前に花を捧げ、事件の残酷さとその事実を学ぶことができた」(『横浜青年』1990年11月号)と記しています。また、光州からソウルに移動した一行は、日本の憲兵隊が独立運動に参加した村の住人たちを教会に閉じ込めて銃撃し建物ごと焼き払った事件で知られる堤岩里(チェアムリ)教会を訪問し、三・一独立運動に関わり犠牲となった方たちの墓前にて、参加した小林利夫牧師(横須賀YMCA運営委員)の司式で墓前礼拝を行い、皆で懺悔の祈りと罪の赦しを願いました。1991年8月に、ソウルで開催された第1回世界YMCA大会には、横浜YMCAから15人が出席し、86の国と地域から参加した約900人と交流し、平和の実現に向けた学びを重ねました。横浜YMCAでは、アジア地域の平和構築を目指す働きに取り組んでいました。
2026年7月31日金曜日
2026年7月1日水曜日
140 years of HISTORY Vol.28 湾岸戦争避難民救済のための緊急募金
1990年11月から行った横浜YMCA国際協力募金は、1月に、湾岸戦争の影響でヨルダンにおける難民救済のため、日本YMCA同盟とともに緊急支援募金を行いました。横浜YMCAでは、さらに募金期間を延長し、厚木YMCAは本厚木駅前にて、横浜中央YMCAでは関内駅前にてリーダーや子どもたちが市民に避難民の実情を訴え、募金を呼びかけました。1991年4月には、神奈川県民湾岸募金を実施することになり、神奈川県下のNGOグループにより構成された「800万県民による湾岸戦争被災市民等への支援」実行委員会が構成され、当時の横浜YMCA𠮷村恭二総主事が委員長を務め、4月から6月にかけて県内で募金キャンペーンを行いました。集められた募金は、神奈川県から国連難民高等弁務官事務所へ実行委員会を通じて1,000万円、それに加えて、募金2,056万9,000円が集まり、国連協会本部からユニセフへ、JVC神奈川からイラク新月社へ、横浜YMCからアンマンYMCAへ3分割された額が現地の食料、衣料品、医薬品、テント等の支給に用いられました。横浜YMCAでは、募金活動に続いて取り組む支援活動についての検討が進められました。
2026年6月1日月曜日
140 years of HISTORY Vol.27 三都市YMCA会議
1940年代から中国と韓国には国交がなく、相互交流は困難な時代でした。そのような中、1988年10月に行われた横浜YMCA理事・常議員会において、横浜・上海・光州による「三都市YMCA会議」の開催が提案されました。1988年には、横浜・光州YMCA交流10周年を機に横浜YMCA代表団4人が光州を訪問した際に、光州YMCAから上海YMCAとの交流の希望が示され、当時の𠮷村恭二横浜YMCA総主事が上海YMCAへ提案を伝えたところ、上海YMCAからも三都市のYMCAが相互に交流・協力し合うことは意味あることと快諾しました。1989年3月の横浜博覧会の際に、光州・上海・横浜の3YMCA協議会を開催し、各都市の代表者が、交流によって関係を深めていくことを確認し、国という枠を超え、東アジアの3つのYMCAが相互に協力していくことを確認しました。この協議会を「三都市YMCA会議」とし、2年に1度継続して開催されることになりました。以後、3YMCAが協力して、少年サッカー交流や青年たちのタイ・パヤオセンターでのワークキャンプ、上海の植林キャンプなどの相互協力のもと活発な活動へとつながっています。2025年は横浜にて三都市YMCA会議が開催されました。
2026年5月1日金曜日
140 years of HISTORY Vol.26 日中青年友好
日本と中国のYMCAは1980年以降、会員やスタッフの相互訪問や研修を行いました。横浜YMCAでは1984年から開始した「中国ともだちの旅」などを通じて相互理解を深めてきました。このような交流をさらに進めるため、1987年より日本と中国のYMCAによる話し合いが行われ、市民レベルでの平和の拠点として、日中青年友好ホールを南京YMCA会館内に建設することが計画れ、日本全国のYMCAで募金活動が展開されました。
横浜YMCAでは、日中青年友好ホール募金委員会を中心に、県内の各YMCAにおいて支援が呼びかけられ、ワイズメンズクラブや保護者会、リーダー会などで募金の協力を働きかけました。1987年に中国YMCAの代表団が日本各地の訪問や横浜YMCAを来訪し、募金運動にも関わり目標としていた募金額を達成しました。
日中青年友好ホールは1988年11月に完成し、南京YMCAにて落成式が行われました。この取り組みはYMCA運動を通して、日本と中国の間にある歴史的な課題を越え、平和の実現を目指す実践として位置づけられています。
2026年4月1日水曜日
140 years of HISTORY Vol.25 VISION’90の策定
横浜YMCAでは、1987年11月、21世紀に向けた横浜YMCAの使命と組織的課題を整理するため「21世紀を迎えるYMCA研究委員会(翌年、VISION’90委員会に改称)」が発足しました。
委員会では各界の講師を招いた勉強会を重ねたほか、2つの委員会を組織し、多角的な検討を行いました。ひとつは、ユース・エンカウンター・アクション(YEA)委員会で、次代を担う青年たちが、先達や学識者へのインタビューを通じてYMCAスピリットを学び、自らの生き方を模索しました。次に、キリスト教の今日的使命についての研究委員会が設置され、YMCAに関わる牧師らにより、人間の問題を考えるYMCAとして、プログラムを通じて何を伝えるべきかが議論されました。これらの委員会での検討や活動を統合し、1990年5月に「横浜YMCA VISION’90」を策定しました。ビジョンでは、来たるべき「地球時代・多元社会・生涯学習社会」を見据え、異文化理解や地球市民意識を育む共同体の形成と、全人的な成長を願う生涯学習の場の提供を目指すものと定義しました。
2026年3月2日月曜日
140 years of HISTORY Vol.24 戸塚センターから湘南とつかYMCAへの歩み
横浜YMCA最初の地域センターとして、1972年に戸塚区のスーパーマーケット(戸塚駅西口)の一角に戸塚センターが開設されました。人口が増え続けていた当時の戸塚区では、開設して間もなく200人ほどの子どもの登録がありました。1978年には戸塚区役所前のビルへ移転し、体育遊びや小学生英語、中学生の学習指導などのプログラムを実施しました。さらに1987年には、中・高校生の進学指導へのニーズの高まりを受け、より広い施設が必要であること、戸塚駅東口は開発が進み人口増加が始まっていること、複数路線の利用ができ便利であることなどから、戸塚駅東口のビル2階へ移転し、名称を「YMCA戸塚ステーション」と改めました。多目的ホールや研修室を備え、衛星放送の受信、パソコンコーナーの設置によるCAI(個人個別学習)ソフトの導入など注目を集める施設となりました。新たに始めた成人の英会話や従来のサッカー、野外活動クラブ、アフタースクール、小学生英語クラブなどが展開されました。その後、横浜YMCA創立110周年を迎えた1994年に、現在の湘南とつかYMCAに移転し、地域に根差した活動を展開しています。
2026年2月1日日曜日
140 years of HISTORY Vol.23 国際平和年とYMCAの働き
横浜YMCA は、国際連合総会が1986年を「国際平和年」と定めたことを受け、国際平和年の働きに積極的に取り組みました。「国際平和年かながわ推進協議会」の委員長には、当時の横浜YMCA総主事であった𠮷村恭二氏が就任し、神奈川県内のさまざまなNGOや行政と連携しながら、国際平和年の推進に尽力しました。
横浜YMCA では、国際平和年の特徴的な取り組みとして「新青い目の人形運動」を行いました。昭和初期に日本のYMCA と深い関わりをもっていた宣教師シドニー・ギューリック氏が、日米間の平和を願い、その象徴として米国の子どもたちから日本の子どもたちへ「青い目の人形」を贈ったことに始まります。この平和への願いが、当時の横浜YMCA 職員であった大藤啓矩氏の働きかけにより、ギューリック氏の孫であるギューリックⅢ世とその妻に引き継がれ、「新青い目の人形運動」として展開されました。ギューリック夫妻は、要望のあった横浜市や熊本県内の小学校に青い目の人形を贈呈し、現地を訪れ子どもたちと交流し、平和の大切さや尊さについて考える機会をともに過ごしました。また、青い目の人形は横浜YMCA にも贈られ、「ジョナサン君」と名づけられました。
2026年1月6日火曜日
140 years of HISTORY Vol.22 金沢八景ステーション開設
横浜YMCAでは中期計画の一つに活動拠点の拡大を掲げ、当時、横浜市のニュータウンとしての街づくりが進んでいた金沢区に、1986年6月、横浜YMCA13番目の拠点としてYMCA金沢八景ステーションを開設しました。中・高生の進学教育プログラムや小学生のサッカー、キャンプ、英会話教室、さらに夏には富岡プールを会場とした水泳教室などを実施し、親子の触れ合いを通じて家族関係を豊かにすることを目指してプログラムを展開しました。この新拠点では運営面においても従来の拠点とは異なり、女性スタッフを中心とした体制を採用し、新しいタイプのYMCAづくりを目指しました。地域に根差したYMCAの形成に向けた試みがなされました。この施設は活動開始から23年を経て再開発計画が進められ、2010年3月に近隣の土地へ移転し、金沢八景YMCAとして新しく生まれ変わりました。また同月、YMCAの認可保育園としては12番目となる金沢八景YMCA保育園が金沢八景YMCAに併設する形で開園しました。
現在は、地域における子育て支援や生涯学習の拠点として、保育・学童保育・語学教育・生涯学習などの事業を通じ、幼児から成人に至るまで多様なプログラムを展開しています。
2025年12月1日月曜日
140 years of HISTORY Vol.21 県央の拠点 厚木YMCA開設1985年
横浜YMCAは創立100周年事業として、1985年2月に厚木YMCA青少年センター(厚木YMCA)を開設しました。県央地域における生涯学習・福祉活動の拠点として、幼児から成人までを対象にウエルネスプログラムを開講しました。
同年4月に開設されたYMCA健康福祉専門学校は、神奈川県で初となる国家任用資格「社会福祉主事」の養成校に指定され、社会福祉の充実が期待される時代に大きな意味を持ちました。1989年4月には、国家任用資格「介護福祉科」が開設され、介護福祉士を養成する職業教育を開始し、地域の福祉・介護分野の人材育成に貢献してきました。同年に、働く女性のためのチャイルドケアセンター「ホサナ」も開設しました。2003年には、横浜YMCAの認可保育園として4番目となる「YMCAあつぎ保育園ホサナ」が、地域の働く家庭の子育て支援拠点として活動を展開しました。また、「あゆの学校」(学童クラブ)は、子どもたちが放課後を安全に過ごし成長する場として展開しました。厚木YMCA・YMCA健康福祉専門学校は県央地域における福祉・教育の拠点としての役割を担い続けています。
2025年11月4日火曜日
140 years of HISTORY Vol.20 1984年 創立100周年をともに祝う
横浜YMCAは1984年に創立100周年を迎え、重要な一年として立てた事業方針は、YMCAを守り育ててきた多くの人びとの働きを覚え、感謝すること、イエス・キリストに示された愛と奉仕の業を継承していくこと、新しい時代の課題を明確化し、それに対応する働きを強化する事業構造転換の研究に取り組むことが計画されました。事業計画では、広く地域社会にYMCA運動の輪を広げるために、100周年記念事業の実施、リーダーシップの強化、厚木市でのYMCA活動の定着、健康福祉専門学校設立準備、横浜YMCA100年以降の長期展望を策定することが挙げられました。記念事業は、1.星野富弘「花の詩画展」、2.第1回「中国ともだちの旅」、3.パリ少年合唱団 母と子のふれあいコンサート、4.第10回聴覚障がい青少年国際キャンプ、5.少年サッカー国際フェスティバル、6.姉妹都市青年国際会議、7.創立100周年記念式典が展開されました。記念事業には、多くの人が参加し、YMCAが広く地域社会に知られる機会につながりました。100年の歩みは「仕えられるもの」としてではなく「仕えるもの」としての役割を果たそうと努め、今後もさらに奉仕の業を拡げることを誓う時となりました。
| 100周年記念事業として開催した星野富弘「花の詩画展」(1984年2月) |
2025年10月1日水曜日
140 years of HISTORY Vol.19 県北地域の活動拠点 川崎YMCA
横浜YMCAは創立95周年記念事業として、拠点開発のため川崎地区YMCA設立準備計画を作成し、地域調査や実験プログラムが行われました。1979年10月には、川崎市多摩区(小田急線向ケ丘遊園駅から徒歩2分)のビル3階にYMCA川崎センターを開設しました。サッカー、少年野球、水泳などのプログラムのほか、川崎市からの要請を受け、社会復帰を目指すリハビリテーションプログラムや、夏には川崎市立小学校PTA主催の水泳教室、保健所のレクリエーション指導にYMCAの指導者を派遣しました。地域のニーズに応える活動が積極的に展開されました。
1982年4月には、地域や各界で活躍する社会人と大学生の14人で構成される川崎YMCA運営評議委員会が発足し、同年7月、同市多摩区(小田急・南武線登戸駅から徒歩5分)にて川崎YMCA青少年センターの起工式が行われました。1983年4月には献堂・落成式が行われ、「通年で使えるプールがほしい」という地域の人びとの願いが実現しました。現在は、主に健康教育や子育て支援などの生涯学習をはじめ、川崎市の介護予防事業が行われています。
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| 地域の願いが実り開設された川崎YMCA(1982年) |
2025年9月1日月曜日
140 years of HISTORY Vol.18 地域に根差し活動 横須賀YMCA
1981年4月4日に、横須賀YMCA青少年センター(横須賀市根岸町)の献堂・落成式が行われまし た。横須賀YMCAでは、幼児から高齢者まで幅広い生涯教育を展開しようと、健康教育、進学教育、幼児教育、語学教育、コミュニティカレッジ(小学生英語・英会話・ギター・陶芸・鎌倉彫など)、指導者養成講習会(水泳・野外活動・障がい児体育・救急法)などが行われました。1983年には老人介護講習会、1989年には、全国ではじめてのマリンスポーツの指導者を養成するYMCA海洋科学専門学校が開設するなど時代のニーズに応える指導者の養成が展開されました。また、キリスト教の価値観に根差した運動体として、あらゆる活動を通して愛と奉仕の実践に取り組み、特に国際協力、国際理解などの活動を展開しました。
横須賀YMCAは2022年に汐入の地に移り、オルタナティブスクールの運営とユースの活動拠点として取り組んでいます。地域や学校との連携、親子支援、ユースの平和を考える勉強会の支援、発達障がい理解講座などに取り組んでいます。
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| 横須賀YMCA(1981年) |
2025年8月4日月曜日
140 YEARS OF HISTORY Vol.17 創立95周年を多くの会員と祝う
横浜YMCAは、1979年10月18日に創立95周年を迎え、記念式典と国際シンポジウムを開催しました。記念式典は、「いま、歴史の中から明日に向かう」をテーマとして神奈川県民ホール大ホールにて行われ、2,500人の会員が新しい前進を誓いました。神奈川県長州一二知事(当時)を招き、特別講演会が行われ、1980年へ向けたメッセージが語られたほか、ボーカルグループダークダックスによる歌声は、「次に迎える100周年に向けての歩みに花を添えるものであった」と当時の𠮷村恭二総主事が報告に記しています。11月18日には記念事業として、神奈川県・横浜市・横浜YMCAの共催でアジアの国の子どもを取り巻く諸問題を理解し、その解決に市民の立場で何ができるかを考えようと「こどもの未来を考える国際シンポジウム」を国際会議場で開催しました。アジアを中心とした17か国から36人の青年指導者と市民170人が参加し、アジア各国の現状理解と子どもたちのために何ができるかについて活発な意見交換がありました。このほか記念事業として、10月に川崎市多摩区にYMCA川崎センターをビルの3階に開設し活動を開始しました。
2025年7月1日火曜日
140 YEARS OF HISTORY Vol.16 プログラムの領域を拡大
1977年からYMCA プログラムの領域拡大に特に重点が置かれるようになりました。当時の𠮷村恭二総主事からの報告では「従来の福祉の分野に押し込められていた身体に障がいのある青少年、心理的な障がいのある自閉症に悩む青少年への身体活動の組み立て、家庭教育の中核となる母親に対する学びへの招き入れ、横浜市の特色である貿易、通関業に携わる人びとへの特別教育コースの設定など、いずれも今後の継続した時間のなかで深まりが期待できる活動である」と伝えています。国際プログラムとしては、カナダ、サンディエゴ、東南アジアセミナーへの派遣、光州YMCAへ小学生を派遣するなど活発な動きがありました。日常のプログラムでは青少年をとりまく環境の中心となる家庭の変容に強調点がおかれました。1970年後半から1980年代前半頃まで開発と拡大が行われていました。1970年代の特別に重点を置いた方針のひとつとして青少年リーダーシップの養成があり、1978年には、青少年指導者養成基金が設置されました。これにより毎年一定のリーダーシップ養成が確実になり、さらに海外への派遣も含めてできるようになりました。プログラム領域の拡大としては、日本で最初の試みとして「目の不自由な子どもたちの水泳教室」(1978年)、「情緒障がい児体育指導者夏季研修会」(1979年)などが行われ、続けられました。(文中には当時の表現をそのまま用いています)
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| 視覚障がい児のための水泳教室(1977年) |
2025年6月2日月曜日
140 YEARS OF HISTORY Vol.15 横浜YMCAと合体した鎌倉YMCA 教育活動・グループ活動盛んに
湘南の地に藤沢YMCAが設立されることと合わせて近隣にある鎌倉YMCAと共同で神奈川県下のYMCAを一つの広域化組織として統合する研究が行われていました。横浜と鎌倉のYMCAから4人ずつの委員が選出され研究が進められました。委員会からの答申案に基づいて協議を重ねた結果、合体して一つの組織になることを1978年3月に決定しました。鎌倉YMCAと横浜YMCAは1978年4月から、鎌倉YMCAは横浜YMCAの一つのブランチとなりました。初代の運営委員長には前日本YMCA同盟総主事大和久泰太郎氏が選任されました。この年の1月に鎌倉YMCAの総主事であった安永和夫氏(横浜YMCA主事から移籍)が退職し、長澤勲主任主事が配属されました。
1945年後半の時期の鎌倉YMCAの活動は、鎌倉在住の理事の自宅を借りて少年たちの夏期英語講習等を行っていました。1951年6月には第1回鎌倉青少年問題懇談会が鎌倉教会祈祷室で開かれました。1954年には鎌倉の青少年のための活動が活発化したため、横浜YMCAからスタッフを派遣し応援しました。以降、鎌倉教会敷地内に仮の小会館を建設し、教育活動やグループ活動を行っていました。その間、幾多の消長の末、1976年に創立20周年を迎えた2年後に横浜YMCAと合体し、1981年に30周年を迎え鎌倉商工会議所にて記念式典を行いました。
2025年5月1日木曜日
140 YEARS OF HISTORY Vol.14 YMCA運動を神奈川全域に 藤沢YMCA開設
横浜・関内にあるYMCAには、藤沢・平塚市方面に居住する方で、YMCAの事業に参加する会員生徒が増え、1976年にはその数が300人を超えていました。横浜YMCAでは新しい構想として初めて横浜市を越え、神奈川県という広域での活動を視野に入れた事業展開を、JR東海道線藤沢駅から350メートルの藤沢市鵠沼石上に、藤沢YMCAを建設することになりました。
YMCAの運動を広く神奈川全域に広めことを目指し、1977年に藤沢教会で開かれた準備委員会には、YMCA会員の数人に加え、日本基督教団、カトリック、聖公会などの各派のキリスト教会から推薦された代表者が集まりました。「湘南と呼ばれるこの地域に、キリストの愛の教えに根差すYMCA の活動拠点を築こう」という理念のもと、「仕えられるものから仕えるものになろう」「共に生きる社会を目指そう」といった目標を掲げ、藤沢YMCA活動の活動が始まり嶋ました。
1977年6月18日に起工式が行われ、1978年3月4日に落成、献堂式では神奈川県知事が祝辞を述べました。プールには北YMCAに続いて田中忠雄画伯による「イエスのエルサレム入場」の画が描かれました。同月には開館記念プログラムとして4回にわたって「教育を考える」と題した講演会が開催され、上智大学学長・ヨゼフ・ピタウ氏。元文部大臣永井道男、立教大学教授室俊司氏、教育評論家で元鵠沼中学校校長杉山智雄氏が講演を行いました。
横浜市以外の拠点設置研究の結果、湘南の中心都市藤沢市に竣工した藤沢YMCA(1978年)
2025年4月1日火曜日
140YEARS OF HISTORY Vol.13 横浜北YMCA地域社会形成の核に
1976年に、これまでの横浜YMCAの職業教育・スポーツ振興に対する活動が認められて「横浜文化賞」を横浜市から授与されました。
同年の4月からは、4つ目のセンターとして菊名センターを当時港北ニュータウンの開発計画のあった港北区に、地元の人を中心に運営委員会を編成し、港北菊名町コーシンマンション区2階60㎡を借りて開設しました。急激な都市化による地域社会の分断・拡散されている状況の中でYMCAを新しいコミュニティーの場として、そこから人びとが地域社会形成への核となる活力を得て、送り出されていくことを目指し開設され、少年作家へ、野外活動、小学生の英語、中学生の学習等の少年少女を対象とするブログラムを実施しました。
菊名センターの隣地を購入し、プールと教室のある横浜YMCAとしての初の中規模施設として1977年4月に「横浜北YMCA」が開設しました。この建物には田中忠雄画伯による「種を蒔く人」の彫せん画がプールの壁に描かれました。これ以降、各YMCAのプールにはキリスト教のメッセージを伝える壁画が描かれることになりました。開館記念プログラムとして15日に、松原治郎東京大学助教授の「新しい地域形成とボランティア活動」、22日に福田垂穂明治学院大学社会学部教授の「地域社会における青少年活動」の講演が行われ、横浜YMCAの目指す新しいコミュニティー形成の意義」が語られました。
2025年3月3日月曜日
140 YEARS OF HISTORY Vol.12 新しいコミュニティーの形成目指す
1970年代に入ると高度経済成長の歪みが現れはじめ、豊かさの質が問われるようになりました。1972年に就任した第9代𠮷村恭二総主事は、このような状況に対して「青少年の問題を中心に地域形成に寄与するYMCAでありたい」と人間性豊かな新しいコミュニティーの形成を目指して、1972年にはセンター第1号として戸塚センターを開設しました。常時200人の会員と200人の季節プログラム参加者がありました。翌1973年には二俣川センターを、1974年には青葉台センターを開設しました。
また、同1974年には、建設から半世紀が経ち老朽化していた本館の立て替えに着手し、日本経済が低迷にある中、伊原隆横浜商工会議所会頭(横浜銀行頭取)を会長に建設後援会が作られ、100人を超える後援会役員の方々の強力な支援によって、1975年10月、室内プールを備えた総合的な施設内容を備えた9階建ての「横浜国際青少年センター」(現横浜中央YMCA)が開館しました。スイミング、全日制予備校、結婚式といった事業が開始されました。
旧本館の解体は3カ月間に及びました。それに先立ち事業活動の分散が行われ、尾上町スカイビル、伊勢佐木町のイセビル、常盤町別館に本館事業を分散しました。関東学院三春台高等学校の好意により体育館を夜間借用し青成体育プログラムにとっては大きな助力となりました。
2025年2月3日月曜日
140 YEARS OF HISTORY Vol.11 1960年代後半、教養文化講座盛んに
1965年10月東京オリンピックが終わり、1960年代の後半に入っていく。カラーテレビ、カー、クーラーの3Cが新三種の神器といわれ、経済発展は日本の自動車生産量を世界三位に達したといわれました。1966年から1967年にかけて横浜YMCAでは少年・青年・体育の各有志指導者の養成に力を入れると同時にプログラム活動としては教養文化的な講座を盛んに行いました。青年教養大学講座、人生設計講座、母親大学講座などを開き、これらの講座プログラムは1968年の結婚講座、婦人文化講座、1969年の青年教養大学合唱講座、将棋講座、民法講座などを加え、続いていきました。
1968年には真鶴のリトリートハウスを整備して鉄筋コンクリート三階建てとし、本格的な研修施設となりました。1968年5月に起工して同年12月に完成し、献堂式を1969年1月15日に行いました。1969年には常盤町本館のホステル事業は将来性を判断して中止しました。
同年に、1968年から従来国際友好奉仕活動として行っていた国際関係の事業を「国際事業委員会」として故杉本恭之助氏が委員長となり、事業方針を立てて組織的効率的に国際奉仕活動を展開するようになりました。
1969年にはプログラム対象年齢の低下が始まり、3歳児と母親、小学生のためのサッカー教室を開始しました。
YMCA真鶴リトリートハウスが開館(1969年)
2025年1月4日土曜日
140 YEARS OF HISTORY Vol.10 人材養成・地域活動・救援事業
1952年に、会館の接収が全面的に解除となると、会館を拠点として活動がスタートしました。英語教育を中心とした教育活動は、専門性のある職業人の養成を目的とした実務科を開設しました。1956年には真鶴にキャンプ場を建設し、さまざなキャンプがはじまりました。あわせてYMCAの青少年指導者の養成も盛んに行われたほか、地域からの要請を受けてレクリエーション指導者の養成事業や夏期巡回子ども会など、地域に出ていく活動が積極的に展開されました。
1959年に、横浜YMCAは創立75周年を迎え、記念式典と実業青少年に対する奨学金制度、真鶴キャンプ拡張事業を記念事業として遂行したことが報告されました。またこの年に伊勢湾台風救援事業として85梱包(5トン)の物資と9万円を超える義援金(現在に換算すると約90万円)を送りました。1960年に入ると、横浜市も都市化が急速に進み、横浜YMCAの活動にも多くの子どもから高齢者、また多くファミリーが参加するようになりました。1963年にはアメリカで開発された「フィットネス」の概念を定着させようと、アメリカから考案者のスタインハウス教授を招いて講演会や研修会を開催しました。1965年には中高年のために心身を鍛えるという概念ではなく、生活習慣全般(食事・栄養・睡眠など)についてアドバイスを行うクラスを開講し健康づくりに取り組みました。
伊勢湾台風被災者支援活動 (1959年)







