2015年2月10日火曜日

総主事コラム プログ 2015年2月

「響感する心」

「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと 「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。
そうして、あとで さみしくなって、 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
(金子みすず)

 かつて4日間歩き続ける尾瀬キャンプを引率した際に、20キロ近く歩き、尾瀬ヶ原を囲む谷に向かって子どもたちが「ヤッホー」と叫ぶと、同じ声が谷間にこだまして戻ってきた。疲れていた顔が笑顔満面になったのを思い出す。その体験を共にした仲間は、キャンプ後の思い出会で「あのこだまは元気が出た」と心に響き残っているようだった。
 幼児が転んで「痛いよ」と泣いているとお母さんや保育士、リーダーが駆け寄り「痛かったね」と抱きとめる姿をよく見る。それだけで子どもの痛みが半減するようで落ち着く。痛みや喜びに共感してくれる大人や仲間がいることが子どもの成長に欠かせない。
 一方で反感の言葉に反感の言葉で返すと大人も子どもエスカレートし、時には手が出る。共感する心と反感する心は、裏表かもしれないが、この詩のように間をおいて勇気をもって心のスイッチを切り替えて「ごめんね」と共感する心に変えていきたい。
悲しい時やつらい時に、悲しかったね、辛かったねと心を寄せる共感の心は、こだまのように心と心を響かせ響感する体験の積み重ねで育つ。子どもは親の鏡といわれるように、親や大人が子どもにこだまのように心を響きあわせ寄り添い響感する姿を見せたい。優しい言葉や喜びの言葉を響かせ感じたい。
(横浜YMCA総主事 田口 努)