2025年3月3日月曜日

140 YEARS OF HISTORY Vol.12 新しいコミュニティーの形成目指す

1970年代に入ると高度経済成長の歪みが現れはじめ、豊かさの質が問われるようになりました。1972年に就任した第9代𠮷村恭二総主事は、このような状況に対して「青少年の問題を中心に地域形成に寄与するYMCAでありたい」と人間性豊かな新しいコミュニティーの形成を目指して、1972年にはセンター第1号として戸塚センターを開設しました。常時200人の会員と200人の季節プログラム参加者がありました。翌1973年には二俣川センターを、1974年には青葉台センターを開設しました。

また、同1974年には、建設から半世紀が経ち老朽化していた本館の立て替えに着手し、日本経済が低迷にある中、伊原隆横浜商工会議所会頭(横浜銀行頭取)を会長に建設後援会が作られ、100人を超える後援会役員の方々の強力な支援によって、1975年10月、室内プールを備えた総合的な施設内容を備えた9階建ての「横浜国際青少年センター」(現横浜中央YMCA)が開館しました。スイミング、全日制予備校、結婚式といった事業が開始されました。

旧本館の解体は3カ月間に及びました。それに先立ち事業活動の分散が行われ、尾上町スカイビル、伊勢佐木町のイセビル、常盤町別館に本館事業を分散しました。関東学院三春台高等学校の好意により体育館を夜間借用し青成体育プログラムにとっては大きな助力となりました。


多くの支援によって建てられた横浜国際青少年センター (1975年 現横浜中央YMCA )