8月1日(土)と8月18日(火)に小田原市主催の「平和を考える講座」に横浜YMCAウクライナユーススタッフが登壇しました。
以下、ウクライナユーススタッフからの報告です。
8月1日(土)の第1部では、沖縄県の「ひめゆり平和祈念資料館」とオンラインでつながり、沖縄戦についてお話を伺いました。
当時の女学生は看護補助要員として働き、水も食べ物も十分にない厳しい状況の中で負傷した人々の手当てをしていたことについて、資料館の方からお話しがありました。
とても衝撃的な内容であり、戦争が起こる背景は国や時代によって異なっていても、その結果として、多くの人々が苦しみ、時には命を失うことになるということを、改めて考えさせられました。
特に印象に残ったのは、本来であれば勉強をしたり、友人や家族と過ごしたり、将来について考えたりするはずだった若い人たちが、戦争の中で生きることを余儀なくされたことです。それは第二次世界大戦の時代だけの話ではなく、今も世界のさまざまな場所で起きています。
そして、8月18日(火)の第1部では長崎県の「原爆死没者追悼平和祈念館」の方から原爆投下についてのお話しをオンラインで聞きました。
一瞬にして命や街がなくなる様子が目に浮かび、当時の状況を鮮明に感じました。
講演を聞きながら、当時の写真を見ることがとても辛く感じました。
写真に写っているような恐ろしい出来事を実際に経験し、その中で生きてきた、そして今も生きている人びとがいます。戦争は、遠くから見るニュースや写真ではなく、誰かにとっては現実そのものなのだと、改めて感じました。そして、死者数などの数字や統計の一つひとつには、必ず一人の人間がいるということを強く感じます。そこには、子どもがいて、母親がいて、父親がいて、兄弟や姉妹がいて、友人がいます。それぞれに夢や将来の計画があり、当たり前の日常を送っていた人たちです。しかし、ある日突然、戦争によってその日常や大切なものを失ってしまうことがあるのです。
また、8月1日と8月18日ともに第2部では、ウクライナについてお話ししました。
戦争が始まる前のウクライナでの生活、戦争が始まってからの避難の経験、そして現在日本で暮らしている中で感じていることについて紹介しました。また、戦争によって、ウクライナで暮らす普通の人々の日常生活がどのように変わったのかについてもお話ししました。
私たちは自分自身の経験を伝えるだけではなく、参加者の皆さんと一緒に、「平和とは何か」「なぜ今、平和について考え、語ることが大切なのか」について考える時間を持ちました。
参加者からは、平和があるからこそできる、当たり前のようでいて大切なことがたくさん挙げられました。
安心して眠ること、家族と一緒に過ごすこと、日常を送ること、好きなものやおいしいものを食べること、自分の好きなことをすること、学び、教育を受けること、自由と平等があること、外国の人々とも良い関係を築くこと、爆発音を聞くことなく、常に恐怖を感じながら生活する必要がないこと、そして、戦争のない環境で暮らすこと。
平和な国で暮らしていると、平和は当たり前のもののように感じられるかもしれません。しかし、自分の国が戦争を経験すると、平和というものをまったく違った形で考えるようになります。
今回の話し合いの中で、ある参加者が、
「平和とは、朝、恐怖を感じることなく目を覚まし、大切な人たちと一緒に過ごし、将来のことを考え、学び、働き、街を歩き、ただ普通の生活を送ることができること」
と話していました。
私はその言葉に強く共感しました。なぜなら、そこに挙げられていることは、特別なことではなく、誰もが必要とする基本的で大切な生活そのものだからです。
この話し合いを通して、平和とは、決して遠いところにある特別なものではなく、私たちが日々の生活の中で当たり前のように享受している、たくさんの小さな幸せによって成り立っているものなのだと感じました。
今回のような交流の機会は、戦争や記憶、そして平和について考え、語り合うことの大切さを改めて教えてくれます。
8月は、日本では平和の大切さについて改めて考える時期でもあります。そのような時期に、日本とウクライナ、それぞれの戦争の記憶や経験について語り合えたことには、大きな意味があったと感じました。
国や世代によって、経験してきた歴史や戦争の背景は異なります。しかし、安心して暮らしたい、家族と一緒にいたい、未来を考えながら生きたいという、人びとの平和への願いは共通しています。
私たちの経験やウクライナについての話が、日本の社会の中でウクライナやウクライナの人びとについて理解を深めるきっかけになればと思います。そして、このような交流を通して、一人ひとりが平和の大切さについて考えるきっかけが生まれることを願っています。
平和は、それを失ったときに初めて、その大切さを強く実感するものなのかもしれません。
だからこそ、私たちは平和について語り、記憶し、そして日々大切にしていく必要があるのだと思います。