新体操合宿2日目
新体操全員でポーズ! |
合宿に来れることに感謝します |
練習の合間も仲良く! |
みんなで食べると美味しいね! |
宿舎から青空が広がっています |
新体操合宿2日目
新体操全員でポーズ! |
合宿に来れることに感謝します |
練習の合間も仲良く! |
みんなで食べると美味しいね! |
宿舎から青空が広がっています |
7月16日に、フットアールフットサルフィールド(横浜市泉区)にて、日ごろは神奈川県内にある各YMCAにおいて、サッカーのほかにも、水泳や体操・キャンプ、学童などさまざまな分野で活動しているリーダーが交流することを目的に「フットサル交流会」を実施しました。
猛暑の中、24人のリーダーが参加し、最初はアイスブレイキングをしながら、笑顔でコミュニケーションをとることが出来ました。
後半は4グループに分かれ、試合を行いました。サッカーやフットサル未経験者も楽しめるようルールを工夫して行い、皆で体を動かしました。
今後も、横浜YMCAに連なるリーダーの交流を深め、より良い活動につなげていきます。
横浜YMCAでは、共に活動する仲間を募っています。興味・関心のある方は、ホームページをご覧ください。詳しい説明を聞いてみたい方は、お近くのYMCAにご連絡くださるようお願いいたします。
ぜひ、一緒に活動してみませんか。
https://www.yokohamaymca.org/staff/youth_leader/担当
横浜中央YMCA ウエルネススポーツクラブ 柳田
YMCAキャンプの歴史をたどると、1920年六甲山麓で最初のキャンプが行われました。YMCAが大切にしてきたキャンプは、いつの時代においても喜びと可能性が広がり、その経験が多くの人を育ててきました。
この夏、幼児対象のキャンプには、YMCA保育園で勤務する保育士の専門性を活かし、野外事業・保育事業が協働し、キャンプ運営が行われます。キャンプ前には、保育士による勉強会を開催し、子どもたちの対象理解について確認していきます。キャンプ期間中においては、引率スタッフと共に保育士がキャンプ全体、グループの子どもたちを見守り、必要に応じたサポートを行っていきます。
7月11日にユースリーダーシップ事業委員会を担当するタスクチ
7月1日~2日、約1か月後に迫った富士山YMCAサマーキャンプに参加するリーダーが集まり、富士山YMCAグローバル・エコ・ヴィレッジにてリーダートレーニングを行いました。
今回のリーダートレーニングでは、子どもたちに安全で楽しいキャンプを過ごしてもらうために様々な学びをするとともに、リーダー自身も子どもたちと共にキャンプを全力で楽しむために、実際のキャンプと同じようにリーダー自身がキャンプメンバーと同じ立場でキャンプを体験しました。
最初の開村式では初めて会うリーダー同士で少し緊張してしまったり……
緊張を解くためのアイスブレイクゲームやグループアクティビティ、チームで話し合って目標を達成するチームビルディングを中心に、実際のキャンプでも体験するチームの団結力や達成感を実感しました。
空き時間では皆で丸くなってボール遊びをするほどに!!
子どもたちが初めて会う友人とどのような過程で仲良くなれるのかという経験を、一足先に味わうことができました。
リーダーたちには、子どもたちが友人たちと一緒に大きな成長をする、最後のピースになってもらえればと思います。
同日に開催していたファミリーキャンプの参加者とふれあう時間もありました。
キャンプソングを歌ったり、ゲームをしたり、キャンドルファイヤーの時間はリーダーたちがゲームや歌を進行し、幻想的なろうそくの火を囲んだ、とても楽しい時間が流れました。
キャンプも近づいてきて準備も着々と進んでいます。
皆様とキャンプで会える日を楽しみにしています。
戦後47年ぶりの友人との再会
私の成長期は、昭和の軍国体制の時でした。9・18事変とも呼ばれる満州事変は1931年9月18日、柳条湖の鉄道爆破に端を発しましたが、幼かったので記憶に残っていません。1941年12月8日、日米開戦の日は、満洲の「奉天(現・瀋陽)」の中学校の寮の食堂で友とその知らせを知りました。そして、1945年8月15日の敗戦の日は、満洲の「哈爾濱(ハルビン)」で迎え、満洲国立哈爾濱医科大学の講堂で敗戦の放送を耳にしました。
1992年8月に大阪で日本キリスト者医科連盟の集いがあり、ゲストとして参加した韓国の医師がスピーチをしました。その内容は、1945年8月のソ連の侵攻に始まる敗戦までの数日の出来事を交えた体験で、私の経験と重なりました。クラス・メートに違いないと直感し、演壇に近づいて、私の思いを伝えると彼も同意したので、戦後47年ぶりの再会となりました。彼は牧師の息子で、韓国名を名乗っていました。当時は、創氏改名制度(日本に植民地支配されていた朝鮮で1940年から皇民化政策の一環として実行された、それまで朝鮮になかった「氏」を創設し、名を日本風に改めることを強制した政策)により日本式氏名で呼んでいました。韓国籍であることは、全く予期していませんでした。 彼も、あの8月15日以後、帰国したのですが、朝鮮戦争の動乱など幾多の辛酸を嘗め、医師となり、当時、釜山にある基督教病院長で、韓国の基督教病院団体の代表を務めていました。
(元横浜YMCA常議員・元大和YMCA運営委員長 髙橋信夫)
日本YMCA同盟120周年に合わせ、世界YMCA同盟ソヘイラ・ハイエック会長が来日し、6月20日から22日に横浜YMCAを訪れました。