2023年7月3日月曜日

体験を平和につなぐ Vol.24

戦後47年ぶりの友人との再会

 私の成長期は、昭和の軍国体制の時でした。9・18事変とも呼ばれる満州事変は1931年9月18日、柳条湖の鉄道爆破に端を発しましたが、幼かったので記憶に残っていません。1941年12月8日、日米開戦の日は、満洲の「奉天(現・瀋陽)」の中学校の寮の食堂で友とその知らせを知りました。そして、1945年8月15日の敗戦の日は、満洲の「哈爾濱(ハルビン)」で迎え、満洲国立哈爾濱医科大学の講堂で敗戦の放送を耳にしました。

 1992年8月に大阪で日本キリスト者医科連盟の集いがあり、ゲストとして参加した韓国の医師がスピーチをしました。その内容は、1945年8月のソ連の侵攻に始まる敗戦までの数日の出来事を交えた体験で、私の経験と重なりました。クラス・メートに違いないと直感し、演壇に近づいて、私の思いを伝えると彼も同意したので、戦後47年ぶりの再会となりました。彼は牧師の息子で、韓国名を名乗っていました。当時は、創氏改名制度(日本に植民地支配されていた朝鮮で1940年から皇民化政策の一環として実行された、それまで朝鮮になかった「氏」を創設し、名を日本風に改めることを強制した政策)により日本式氏名で呼んでいました。韓国籍であることは、全く予期していませんでした。 彼も、あの8月15日以後、帰国したのですが、朝鮮戦争の動乱など幾多の辛酸を嘗め、医師となり、当時、釜山にある基督教病院長で、韓国の基督教病院団体の代表を務めていました。


(元横浜YMCA常議員・元大和YMCA運営委員長 髙橋信夫)