9月30日(土)〜10月1日(日)の1泊2日で、横浜YMCA
会場は三浦YMCAグローバル・エコ・ヴィレッジで、
9月30日(土)〜10月1日(日)の1泊2日で、横浜YMCA
会場は三浦YMCAグローバル・エコ・ヴィレッジで、
2023年9月29日(金)~10月1日(日)の期間に行われる、東日本ユースボランティアリーダーズフォーラム(以下 YVLF)は、今年で35回目を迎えます。
皆さまから寄せられた折り鶴の一部は、8月14日~16日に実施された横浜YMCAアフタースクール「ひろしまピースキャンプ」に参加した子どもたちの手によって、私たちの平和への想いとともに広島平和記念公園内にある「原爆の子の像」に献納されました(残りは広島YMCAを通じて献納されました)。
なお、今年はSDGsの観点から、過去に広島平和記念公園で献納された千羽鶴を利用して作られた「再生紙折り紙」を一部使用して、鶴を作りました。
今回折り鶴プロジェクトにご協力いただいた皆さんに感謝いたします。
ありがとうございました!
2023年9月29日~10月1日に行われるユースボランティアリーダーズフォーラム(以下 YVLF)は、今年で35回目を迎えます。
1923年12月、「青年會館屋上のクリスマスツリーのイルミネーションは強い平和の光を廃墟の全市に投げてゐた(横浜青年第102号)」そうだ。多くの教会が礼拝できないほど被災したため、横浜YMCA会館で個別に、時には合同で礼拝が行われた。当時の横浜YMCA会館は、震災の7年前、1916年に現在と同じ中区常盤町に建ったばかりだった。コンクリート製の新会館は、震災による火災で内部は焼けたものの、建物が残り、被災者支援、復興事業などの拠点となっていた。教会への会場貸し出しの一環に、合同クリスマス大聖歌隊の結成があり、4台のトラックに分乗して、市内に福音を届けたという。朝鮮や中国出身の子どもたちと一緒にクリスマス会が開催された記録もある。
「平和の光」の約3カ月半前、関東大震災直後に横浜の各所で虐殺が起きてしまった。朝鮮の人たちに対する流言によって、*751名の人が犠牲になったと伝えられている。中国の人も中には日本人の犠牲者もいたという。殺人の罪を犯したのは、自警団を組織した被災者つまり一般市民だった。多くの市民は極端な行動には出なかっただろうし、関わっていないだろう、中にはかくまい助けた人もいただろう。YMCAのクリスマスもそういった事実の延長線上にあった取り組みと想像できる。
しかしそれで虐殺の事実が一部の暴徒によるものと片付けることや、罪を免れることにはならない。今を生きる私たち一般市民は、歴史から目を背けず、知り、反省し、伝え、過ちを犯さないことを誓い続けなければならない。一部の情報に惑わされない、人びとを特定して社会から排除しない、何より命を奪うことは考えもしてはならない。
*「横浜における関東大震災時朝鮮人虐殺」山本すみ子著
(総主事 佐竹 博)
ハルビン(哈爾濱)の地
残留生活の中で慰められ、支えられたエピソードを母は繰り返し口にしていました。それは、敗戦の年のクリスマスの夜に、日本人が集団で生活している建物の窓辺でその地のクリスチャンたちが、わざわざクリスマス・キャロルを聞かせてくださったというのです。心慰められ、感謝に満たされたことはもちろんで、このような時に、さまざまな方から、いろいろな形で親切にしていただけたことは忘れられないようでした。
私は、「ハルビン(哈爾濱)」の地で、一時期ソ連(当時)側の使役に従事していました。幸い身内の家庭に居候をし、一年後帰国することができました。戦後の「ハルビン(哈爾濱)」には、北満州一帯周辺各地からの避難民が終結し、寒冷地での越冬は過酷であり、多くの女性や子どもたちが犠牲になりました。今日も残留日本人孤児のことが話されますが、これらの日本人の子らを養育した中国人の善行に頭が下がります。
当時、私は幸いにも日本に帰国することが許されました。医学の学びを続けることが可能であるならば、次の代の国を支える子どもたちへの働きに就きたいと願っていました。
(元横浜YMCA常議員・元大和YMCA運営委員長 髙橋信夫)