2023年9月1日金曜日

 1923年12月、「青年會館屋上のクリスマスツリーのイルミネーションは強い平和の光を廃墟の全市に投げてゐた(横浜青年第102号)」そうだ。多くの教会が礼拝できないほど被災したため、横浜YMCA会館で個別に、時には合同で礼拝が行われた。当時の横浜YMCA会館は、震災の7年前、1916年に現在と同じ中区常盤町に建ったばかりだった。コンクリート製の新会館は、震災による火災で内部は焼けたものの、建物が残り、被災者支援、復興事業などの拠点となっていた。教会への会場貸し出しの一環に、合同クリスマス大聖歌隊の結成があり、4台のトラックに分乗して、市内に福音を届けたという。朝鮮や中国出身の子どもたちと一緒にクリスマス会が開催された記録もある。

 「平和の光」の約3カ月半前、関東大震災直後に横浜の各所で虐殺が起きてしまった。朝鮮の人たちに対する流言によって、*751名の人が犠牲になったと伝えられている。中国の人も中には日本人の犠牲者もいたという。殺人の罪を犯したのは、自警団を組織した被災者つまり一般市民だった。多くの市民は極端な行動には出なかっただろうし、関わっていないだろう、中にはかくまい助けた人もいただろう。YMCAのクリスマスもそういった事実の延長線上にあった取り組みと想像できる。

しかしそれで虐殺の事実が一部の暴徒によるものと片付けることや、罪を免れることにはならない。今を生きる私たち一般市民は、歴史から目を背けず、知り、反省し、伝え、過ちを犯さないことを誓い続けなければならない。一部の情報に惑わされない、人びとを特定して社会から排除しない、何より命を奪うことは考えもしてはならない。

*「横浜における関東大震災時朝鮮人虐殺」山本すみ子著

 (総主事 佐竹 博)