1930年代に入り、YMCA会員活動も定着しはじめ、室内体育館を中心にした体育活動が盛んになってきました。社会的不安などが次第に色濃くなってゆく時代にもかかわらずYMCAの会員活動は盛んになり横浜市における青少年活動としては市民から評価されるようになってきました。それは関東大震災後におけるYMCAへの市民への救護事業やその後の奉仕がキリスト教青年会に対する好意としてのあらわれであるこが「横浜YMCA百年史」に書かれています。
1927年に震災による甚大な被害を受けた会館の改修が完了して再び青少年のための活動が活発に続けられました。1930年には、体育活動として新しくデンマーク体操(東京YMCA柳田亨主事指導、横浜YMCA広田後兼敏主事)の講習会がはじまり、YMCAにおけるデンマーク体操は次第に広がっていきました。翌1931年には第1回神奈川県バレーボール大会がYMCAの主催で開かれ、1932年には婦人体育クラブがYMCAの中にできました。同年に広田兼敏主事は神奈川県バレーボール協会理事に推され就任しました。この頃、スポーツをすることによる肥満解消の呼びかけや会員活動のブログラムではキリスト教講演、レコード音楽鑑賞、書道、コーラス部、哲学や演劇などの研究会の諸講座が盛んになりました。
体育館においてデンマーク体操などの体育プログラムが盛んになった(1930 年代)