2024年11月5日火曜日

第4回多文化共生を考える講座 実施報告

10月26日(土)、第4回多文化共生を考える講座(かながわ外国人すまいサポートセンターと共催)を実施しました。

今回は、多文化共生をテーマとした映画(移民の記憶 マグレブの遺産 第2部「母」)を鑑賞し、参加者のみなさんで昼食を取りながら意見交換をしました。この映画は、フランスの戦後復興を支えるために、安価な労働力として北アフリカから動員された男性たちと、その後、呼び寄せられた妻や子どもたちへのインタビューを収録したものです。「祖国に帰りたい」という声が聞かれるかと思いきや、大半の人は「私はもうフランス人」「パリは安心」「ここに全てがそろっているのに帰国する理由があるか?」と、移住当初の困難を乗り越え、強く生き抜いてきた様子を見せてくれました。このことは決して遠い国の話でも昔の話でもなく、今の日本でも経験している人がたくさんいるということを私たちは心に留めておかなければなりません。

今回の参加者は7名と少人数でしたが、各国のお菓子やお茶も楽しみつつ、和やかな雰囲気の中で1人ひとりからいろいろな意見を聞くことができました。「多文化共生は今に始まったことではない。日本でさえ"多様な文化を持っているではないか"」という意見があり、それぞれが自分の家のお雑煮を説明したところ、お餅の形から出汁の取り方、具材まで多種多様であることに驚かされました。「国や人種にとらわれず、その人がその人らしく生きられるか、ということが大事なのでは」「1人として同じ人はいない。"同じ"であることの方に違和感を持ったほうがいいかもしれない」といった意見も聞かれました。

4回シリーズで開催した本講座は、各回とも参加者の満足度が高く、充実した学びの時となりました。「多文化共生」の意味するものは、外国籍住民との共生だけを指すのではないようです。いろいろなバックグラウンドをもった人がともに暮らすこの社会で、どんな人との間にも、お互いを認め合い、高め合っていけるような関係性を目指していきたいと思います。


国際・地域事業、横浜中央YMCA 諏訪

2024年11月1日金曜日

【健康教育部】スタッフ研修を実施しました

 健康教育事業に関わるスタッフが、10月29日(火)に横浜中央YMCAにて職員研修を実施しました。午前中は安全についての確認をし、日頃のクラスでの安全管理を見直す機会となりました。

安全について改めて確認をしました

台湾(台北YMCA)での指導者研修、水泳大会の報告

その後、現在台北YMCAに短期出向しているスタッフとリモートで繋いで報告を受けたり指導者研修や水泳大会で台北に行ったスタッフの報告がありました
子どもたちとバスケットボールクラスにも参加

短期研修の受け入れ先では、すぐに仲良くできています

午後は水泳で使用する筋肉を意識してストレッチをし、体をほぐしてから実技を行いました。
泳ぐ前にストレッチを入念に



怪我や事故などが起きた際に迅速に正しい対応ができるようにシュミレーションをしたり、指導時に正しい見本が見せられるように、そして自身のスキルアップのために沢山泳ぎました。今後も安全第一で楽しくわかりやすい指導ができるよう、スタッフ一同努めてまいります。
冬季講習会も参加者募集中です。皆さまのご参加をお待ちしております。

横浜YMCAスタッフ一同

私の瞳が濡れているのは

10月のある日の礼拝で讃美歌532番を歌いました。これまでに何度か歌っていますが、なぜかまともに最後まで歌えたことがありません。過去何度かの経験により、イントロでグググっと押し寄せてくる波は堪えることができます。歌いだし「ひとたびは死にし身もー主によりていま生―きぬー」だけで鼻の奥がツンとなり、さらに大きな波が押し寄せてきます。「昼となく夜―となく―」あたりではもう歌えなくなっています。

ようやく3節あたりで持ち直しますが、鼻の詰まった声で「アーメン」を絞り出すのがやっとです。悲しいわけでもないし、何か特別の思い入れや、何か印象的な式やシーンとセットなわけでもないのですが、この讃美歌は私の心を揺さぶります。

10月5日、横浜海岸教会で横浜YMCA創立140周年記念礼拝を行いました。100名を超えるYMCA関係者と共に礼拝の時を持ち、祈りを捧げることができました。

礼拝の中で歌ったのは讃美歌21 412番(讃美歌234番A)、私の知る限り横浜YMCA会員総会では必ず歌われ、YMCA行事では何度も歌ってきた讃美歌です。1節はYMCA混声合唱団による素晴らしいコーラスが心地よく、2節より会衆みんなで歌いました。「歴―史のながーれ旧きものをー」会衆の声がひと塊となり、最前列にいた私は背中にものすごい勢いを感じました。大合唱だけでなく、思いが一つになったものだったからだと思います。私は背中にその圧力を感じながら、歌いだすと同時に、涙腺が緩み視界がぼやけました。心揺さぶられました。

松山千春さんの「旅立ち」に「私の瞳が濡れているのは、涙なんかじゃないわ」という歌詞がありますが、私のは涙でした。

(総主事 佐竹博)

140 YEARS OF HISTORY Vol.8 室内体育館からスポーツ一層盛んに

1930年代に入り、YMCA会員活動も定着しはじめ、室内体育館を中心にした体育活動が盛んになってきました。社会的不安などが次第に色濃くなってゆく時代にもかかわらずYMCAの会員活動は盛んになり横浜市における青少年活動としては市民から評価されるようになってきました。それは関東大震災後におけるYMCAへの市民への救護事業やその後の奉仕がキリスト教青年会に対する好意としてのあらわれであるこが「横浜YMCA百年史」に書かれています。

1927年に震災による甚大な被害を受けた会館の改修が完了して再び青少年のための活動が活発に続けられました。1930年には、体育活動として新しくデンマーク体操(東京YMCA柳田亨主事指導、横浜YMCA広田後兼敏主事)の講習会がはじまり、YMCAにおけるデンマーク体操は次第に広がっていきました。翌1931年には第1回神奈川県バレーボール大会がYMCAの主催で開かれ、1932年には婦人体育クラブがYMCAの中にできました。同年に広田兼敏主事は神奈川県バレーボール協会理事に推され就任しました。この頃、スポーツをすることによる肥満解消の呼びかけや会員活動のブログラムではキリスト教講演、レコード音楽鑑賞、書道、コーラス部、哲学や演劇などの研究会の諸講座が盛んになりました。


体育館においてデンマーク体操などの体育プログラムが盛んになった(1930 年代)