母の証言3 子どもたちのために
1945年6月の空襲が終わり、夜が明けたら、ものすごい雨でした。岡町の人は、一軒焼け残った天理教の施設へ避難せよとの命令がありました。そのときには長男を背負ってくれた学生さんの姿はありませんでした。私はショックで歩き出せないでいました。
長男の手を引いてやっと避難所に着きました。ほっとする間もなく、若夫婦が3カ月ぐらいの赤ちゃんを抱いて、「乳を飲ませてくださいませんか」と言われました。泣いている小さな赤ちゃんの顔を見ていたら、かわいそうで思わず、乳を飲ませていました。私も6か月の次男に乳をあげなければならないので、片方の乳をその赤ちゃんに、もう片方の乳を次男にふくませました。その赤ちゃんはおなかがよほど空いていたらしく強く吸っていたことを憶えています。
昼ごろには、子どもだけにおにぎりが一個配られました。夕方には大人にもおにぎりが一個配られました。夕方、主人が安否を尋ねて避難所に来ました。無事を知ると直ぐに職場に戻っていきました。工場も火事になり、多くの人が死んだらしいと聞きました。自分ひとりで二人の子どもたちを守らなければならないと思いました。二人の子どもがきっと私を奮い立たせて、力づけてくれたのかもしれません。
(厚木YMCA運営委員・厚木ワイズメンズクラブ 川口 知幸)