2022年11月10日木曜日

体験を平和につなぐ vol.16

風任せ・波任せ 航海のような人生

1949年、19歳・高校卒業。この年の春に、新制高校3年を卒業し早稲田大学に入学しました。教科書は、20枚ほどの新聞紙二つ折り大のタブロイド版でした。同じ学級から、3年にわたり、卒業生を送り出すという前代未聞の事実は、二度とないであろうと思いました。(今でも、われわれの同期会を「二・三・四会」昭和22・23・24の3年間に卒業生がいたことを意味しています)。

1951年、21歳・早稲田大学2年。この年の6月、桜木町事故が勃発、乗客100人以上が焼死し、その中に私の知人もひとり含まれていました。鶴見の総持寺境内にある慰霊碑には、全員の氏名が刻まれています。9月8日に、サンフランシスコ講和条約が結ばれ、日本は調印し、民主国家として内外に全権回復を示す礎となりました。当時、東京・神田の美土代町にあった東京YMCAの建物は、戦災にも遭わず2階以上が駐留軍兵士の宿舎に接収中で、1階はサロン風になっていて飲み物などを飲みに寄り道したことを思い出します。

1953年に大学を卒業して国家公務員となり法務省に就職、定年の60歳まで38年。途中、先輩からのお声がかかり、1959年に、横浜YMCAと横浜ワイズメンズクラブの会員となり現在に至りました。お陰で、人と交わり・楽しみ・助けられながら90歳過ぎの今日まで、後半は大変充実した人生を送らせていただいています。総じて、私の人生、風任せ・波任せの航海のように思っています。

(横浜とつかワイズメンズクラブ 加藤利榮)