2022年10月5日水曜日

体験を平和につなぐ Vol.15

戦後に思う

1945年に、連合軍総司令官のダグラス・マッカーサー元帥が神奈川県の厚木飛行場に専用機から降り立ちました。終戦から幾日もない頃だったように思います。あのパイプを横にくわえタラップを降りる姿は、今でも目に焼き付いています。その年の9月頃の新聞に、当時、マッカーサーの常駐場所であった連合国最高司令部(GHQ)のある東京・丸の内の第一生命館に天皇陛下が訪問され、並んで写真に納まっているのを見て、なぜか涙を禁じ得ませんでした。程なく、戦争犯罪人として、A級戦犯(約90人)からB・C級に至る戦争犯罪人が逮捕・起訴され処刑されました。

1946年 、16歳・中学4年。戦時中に文部省令が改正され、4年で「卒業可」という学制に改められ最高学年組となりました。幸いなことに学校は戦災を免れたものの、海軍将校を目指し、広島にあった海軍兵学校予科(略して「予科兵」)に入り、終戦で戻ってきた元同僚を受け入れ、「組の編成替え」で希望すれば、4年での卒業も出来ましたが、上級校への進学準備も整っていなかったため、学校に残ることにしました。

1948年、18歳・高校3年。新制3年に編入。通学の列車には買い出しの人でごった返し、その混雑には閉口しました。窓からの出入りやデッキにぶら下がるようにして列車につかまって乗っている人びとがいて、今では考えられない光景が日常的になっていました。

 (横浜とつかワイズメンズクラブ 加藤利榮)