2022年4月21日木曜日

~バンドゥーラの響きとともに、平和を願う~ 4月15日 ウクライナYMCA支援のための演奏会のご報告

ウクライナYMCAは、2月24日の侵攻直後より近隣諸国のYMCAと連携し、国内外での避難民の受け入れ等の支援活動を行っています。日本各地のYMCAでも、日本YMCA同盟・世界YMCA同盟を通じて、ウクライナYMCAの活動を支援するために、緊急支援募金を行っています。

横浜YMCAは、ウクライナYMCA緊急支援のために演奏会を企画し、4月15日(金)、日本キリスト教会 横浜海岸教会にて「ウクライナYMCA 緊急支援募金のための演奏会 民族楽器バンドゥーラ~平和へのしらべ~」を開催しました。ウクライナ出身で日本を拠点に活動をしているカテリーナさんをお迎えし、ウクライナの民族楽器バンドゥーラの演奏と歌により、いまウクライナで起きていることに想いを馳せ、平和な世界を願うひと時となりました。


「平和へのしらべ」という趣旨から、演奏会の冒頭でしばらく黙とうの時間を持ちました。

その後、子どもの目を通して見たウクライナの今、ユースボランティアからのメッセージ等、ウクライナYMCAが作成した動画やYMCAの支援事例を紹介しました。また、3月21日にウクライナの首都キーウから日本へ避難したカテリーナさんのお母様・マリヤさんにお話を伺う機会も設けられました。

ウクライナの民族衣装に身を包んだカテリーナさんがウクライナの民族楽器バンドゥーラを片手に入場すると、会場は大きな拍手で包まれました。カテリーナさんは、ウクライナ民謡や日本でも馴染みのある楽曲など、アンコールも含め7曲を披露してくださり、バンドゥーラの素敵な音色と歌声が会場に響き渡りました。カテリーナさんの演奏の後、マリヤさんも今の思いを込めてウクライナの歌「鳥のカッコウ」を歌ってくださいました。


演奏会は会場参加の他、オンラインでのライブ配信を行い、会場参加99名、オンライン視聴(事前申込みの方へのアーカイブ視聴含み)  183名となり、多くの方に関心をお寄せいただき、ご参加いただきました。

会場では88,873円(4月19日現在)の募金が寄せられ、今回の演奏会の収益と併せてウクライナYMCA緊急支援募金に用いられます。


平和を願う趣旨にご賛同いただき、会場およびオンラインでご参加くださった皆様、共催の公益財団法人かながわ国際交流財団、公益財団法人日本YMCA同盟、後援および会場提供にご協力くださった日本キリスト教会横浜海岸教会、すべての関係者の皆様に感謝を申し上げます。皆様と心を一つとし、不安の中にいる人びとが一日も早く安心して日々を過ごすことができるよう、ともに平和を願ってまいります。

(国際・地域事業)



2022年4月11日月曜日

第5回 国際・地域協力募金委員会を開催しました

4月7日(木)、2021年度最終回・第5回の国際・地域協力募金委員会を開催し、スタッフ33名、横浜YMCA国際事業委員3名が参加しました。

はじめに、3月末時点(決算前)の募金の達成状況について、2021年度の目標金額に達成したことを感謝をもって共有しました。

また、2021年度に皆さまからお寄せいただいた国際・地域協力募金を、2022年度にどのように活用していくか、使途案について事務局から提案しました。
集められた募金は、海外支援(タイ、ミャンマー、カンボジア、パレスチナ他)、地域支援(外国につながる人びとの支援、平和の取り組み、困窮者支援他)、ウクライナYMCA緊急支援、ミャンマーYMCA緊急支援として、それぞれの地域で支援を必要としている人びとのために用いられます。

募金活動事例報告では、藤沢YMCAから、募金キャンペーンの内容、募金ツールの活用方法、館内掲示の案内方法について報告があり、募金キャンペーン期間の最後まで、工夫を凝らして募金の呼びかけと使途先についての情報発信を続けている様子が紹介されました。

事務局より現時点でのウクライナ支援に関する情報共有として、YMCAのグローバルネットワークを活かした、ウクライナから日本への避難をサポートした事例を報告しました。

※横浜YMCAウクライナ緊急支援募金は4月30日(土)まで受付しております。
報告と最新情報などはHPからご確認いただけます。https://www.yokohamaymca.org/ukraine_payment/

グループシェアでは、2021年度募金活動の振り返りを行いました。
各エリアの募金委員から、制限のある中で実施した今年募金活動の工夫点を話し合い、また、来年度に向けてフェアトレード商品募金、年賀状の書き損じを集め、郵便局で切手に交換後現金化というアイディアが出ました。

最後に、国際事業委員より、1年間、募金活動を担った募金委員へのねぎらいの言葉とともに、「皆さんの働きはかけがえのないものだと思います」とメッセージをいただきました。

横浜YMCAの募金活動にご支援してくださった皆さまに感謝を申し上げます。
新年度に向けて引き続き募金活動を展開し、皆さまの温かいお気持ちを胸に集められた募金を大切に届けてまいります。

(国際・地域事業)


4月3日 朝鮮学校「入学おめでとう応援隊」に参加しました

入学おめでとう応援隊は、神奈川県内の3つの朝鮮初級学校 (小学校)で行われる入学式に合わせ、各学校の入学式会場で「入学おめでとう」ののぼりを持って、皆でお祝いする活動です。民族学校に通っているというだけで、何の罪もない子どもたちが暴力にさらされたり、不安や恐怖を感じたりするような状況は許されるものではありません。横浜YMCAは、毎年、入学式に子どもたちが安心して学校に通えるよう、朝鮮学校「入学おめでとう応援隊」の活動(以下、「応援隊」)に参加しています。

コロナ禍で応援隊の活動ができない年が続きましたが、2年ぶりの開催となる今年、YMCAのスタッフやボランティアは4月3日の入学式当日に、それぞれ横浜朝鮮初級学校、川崎朝鮮初級学校、南武朝鮮初級学校で開催された入学式に参加しました。


(朝鮮学校入学式会場)

今年はコロナ禍により応援隊の活動は人数を制限し開催することになりましたが、当日参加できない方もお祝いのメッセージを届けることができるように、YMCAでお祝いメッセージを募集しました。

横浜YMCAの理事常議員、国際事業委員、スタッフから、新入生への入学祝いのメッセージのほか、朝鮮学校の子どもたちを応援すること、明るい社会への願いを込めたメッセージも寄せられました。いただいたメッセージは朝鮮初級学校の皆さまにお渡ししました。

(お祝いメッセージカード)


朝鮮学校に入学する子どもたちや家族だけでなく、日本に住む日本人をはじめ、多くの地域の人たちからのお祝いは、入学する子どもたちはもちろん、保護者や学校関係者にとっても大きな支えになります。横浜YMCAは、多様な文化を理解することで、子どもたちの健やかな成長を祈り、支えていきたいと思います。

(国際・地域事業)

2022年4月2日土曜日

「OR」より「AND」

 『ビジョナリーカンパニー』(日経BP出版センター)によると、先見的、未来志向、業界で卓越し、社会に大きなインパクトを世に与え続ける企業には12の特徴があるとされ、その一つが「ORの抑制、ANDの才能」である。

「ORの抑制」とは私たちが日常的に持つ理想と現実などの狭間で行う選択の志向であり、組織においても「利益を超えた目的か現実的な利益」「長期的視野に立った投資か短期的な成果の要求」「基本理念に充実な組織か環境に適応する組織」などがこれにあたる。これらを同時に目指す「AND」は、相反する(と思われる)両者のバランスをとるものでも、半々の達成でも、混ぜてしまおうというのでもなく、両者がそれぞれを追求し達成し続けることが必要であるとのことから「才能」と表現されている。「ANDの才能」は個人一代限りでなく長年にわたる組織の努力により得られるものだという。

YMCAはイエス・キリストの生き方に倣うことを目指し、ビジョンを掲げ、活動を展開する。キリスト教の価値観に基づき目指す世界観と、その時代に合わせた使命に基づく活動が両立する。活動は、ある時代の、ある地域における課題や、必要とされる事柄に事業を通し、取り組んでいる。理想か現実かといった抽象的な「OR」でなく、平和で公正な社会の実現と、地域の諸課題の解決、どちらも実現させる「AND」を求め続け、10月には創立138周年を迎えようとしている。平和で公正な世界を希求し、平和をつくり出す人を育み、常に社会に目を向け、具体的に活動を通して働きかけ続けていく。未来を見据えて、使命実現の実を刈り入れるために土地を耕し、種をまき育てていくことをこの1年の目標とする。

(総主事 佐竹 博)


体験を平和につなぐ vol.9

戦死した上級生を今も思う

小学校時、近所に人気のあった2・3年上の暴れん坊の上級生がいました。学校帰りに一緒になると、通学路でない近道である道へ誘われ、蛇やカエルを捕まえてよく遊びながら帰りました。その上級生は小学校の高等科2年を終え、船員になったと聞きました。

太平洋戦争前だったと思いますが、暴れん坊の上級生が船員服姿でさっそうと休暇で帰って来たことは、近所ですぐ話題になりました。彼は大戦勃発の翌年の冬に、休暇で1週間ほど帰郷していると母が井戸端会議で聞いてきました。後日の話で上級生は、帰ってきて2・3日は陽気で楽しそうだったそうですが、そのうちに無口になり、最後の夜には、今度乗船する船は爆弾ばかりを積んで戦地に行く船で、すでに同僚の乗ったこの種の船が何隻も敵潜水艦の魚雷で轟沈(ごうちん)していると語り、自分が乗船する船もとても帰還は難しく、おそらく轟沈し死ぬであろうと両親に泣きながら話したということでした。

翌朝ご近所にいつもの別れのあいさつはなく、両親と兄弟に泣いて別れを告げたそうです。それからしばらくして戦死の報告がありました。特攻隊編成の2・3年前のことでした。

元気で愉快な上級生は、生きていれば相応の働きをした先輩であっただろうと今でも思いだします。

(厚木ワイズメンズクラブ 田口堅吉)