2025年11月10日月曜日

幼保連携型認定こども園YMCAいずみ保育園開園20周年記念礼拝

11月1日に、幼保連携型認定こども園YMCAいずみ保育園開園20周年記念礼拝・20周年いずみフェスティバルが行われました。

記念礼拝では、鈴木徹司牧師(日本同盟キリスト教団白百合福音教会)から「子どもたちをありのままに受け止め続け、見守り続け、感動して発見し続けられるよう仕えていきましょう」とメッセージがありました。


続いて2005年の開園に向けて建物の建築などに尽力くださった建設会社や設計に携わった来賓の方や地域の民生委員の方からお祝いの言葉をいただきました。
佐竹博横浜YMCA総主事は、これまでの20年を支えてくださった多くの方への感謝を述べ「平和を担う子どもたちを育む働きを引き続き取り組んでいきましょう」と語りました。

礼拝には歴代の園長も列席し、初代園長の田口努氏(日本YMCA同盟総主事)は、市立保育園から民営化となる経緯やYMCAが受託する中で多文化共生の使命への期待が寄せられたことなどを振り返りました。また開設当初からの保育士の紹介や市立保育園時代から引き継がれているピアノなどのエピソードを紹介しました。続いて、歴代の園長がそれぞれ思い出を語りました。

礼拝後には、20周年いずみフェスティバルが開催され、ベトナム料理やアジア各国の料理など地域の飲食店をはじめ、雑貨屋や駄菓子屋などもブース出店しました。ステージでは有志による卒園児ダンス、園児によるすずめ踊りやベトナム踊り、職員有志による「なんちゃって楽団」の演奏のほか、卒園児が多く在籍する上飯田中学校吹奏楽部や飯田北いちょう小学校ダンスクラブ、上飯田小学校のソーラン節、さらにフラダンスやチアダンス、バルーンアートなどの発表も行われました。



卒園児として現在YMCAいずみ保育園で働く4人の保育士も、卒園児との再会と交流を喜び合いました。


記念礼拝・フェスタを合わせて約600人が集い、久しぶりの再会を喜び合いながら、20周年をともに祝うひとときとなりました。


                          (YMCAいずみ保育園 森)

2025年11月4日火曜日

141 years of HISTORY Vol.20 1984年 創立100周年をともに祝う

横浜YMCAは1984年に創立100周年を迎え、重要な一年として立てた事業方針は、YMCAを守り育ててきた多くの人びとの働きを覚え、感謝すること、イエス・キリストに示された愛と奉仕の業を継承していくこと、新しい時代の課題を明確化し、それに対応する働きを強化する事業構造転換の研究に取り組むことが計画されました。事業計画では、広く地域社会にYMCA運動の輪を広げるために、100周年記念事業の実施、リーダーシップの強化、厚木市でのYMCA活動の定着、健康福祉専門学校設立準備、横浜YMCA100年以降の長期展望を策定することが挙げられました。記念事業は、1.星野富弘「花の詩画展」、2.第1回「中国ともだちの旅」、3.パリ少年合唱団 母と子のふれあいコンサート、4.第10回聴覚障がい青少年国際キャンプ、5.少年サッカー国際フェスティバル、6.姉妹都市青年国際会議、7.創立100周年記念式典が展開されました。記念事業には、多くの人が参加し、YMCAが広く地域社会に知られる機会につながりました。100年の歩みは「仕えられるもの」としてではなく「仕えるもの」としての役割を果たそうと努め、今後もさらに奉仕の業を拡げることを誓う時となりました。

100周年記念事業として開催した星野富弘「花の詩画展」(1984年2月)


左利き×クリスチャン

私は左利きです。と言っても完全な左利きではなく、箸は右、字を書くのも右、「直されレフティ」です。ボールを投げるのは左、運動機能に関するのは左です。クロールの息継ぎが右なのも左あっての右と勝手に思い込んでいます。日本の左利きの割合は10%だそうです。

日本のクリスチャンは0・8%から1%と言われます。左利きより少ないのですが、YMCAにいると多くのクリスチャンでない方々が「横浜YMCA-私たちの使命」や価値観に共感して、活動してくださっていて、心強く感じます。

YMCAでは、「弱くされている人々・小さくされている人々のために」と、活動の意義を見出すときによくこのフレーズを用います。「弱くされている・小さくされている」は、自分がそうではない側から支援する側にいることを自覚させるものになってはいないか?と自問します。その発想は行き過ぎると分断を助長することになってしまわないか心配なのです。共に生きるために、お互いに(「お互い」この言葉を使うこと自体、2つに分けているのかもしれませんが…)思いを馳せ、思いやりを持って、それぞれに譲り合い、時には我慢して、可能性を見出していくことが必要と考えます。それは、決して割合が多い、少ないではなく、誰かが嫌だと感じたり、困っていたりするなら、そしてそれを多くの人が自分ごとにしなかったら、「小さくした」「弱くしてしまった」となるのだと考えます。

置かれた場所、そしていろいろな人がいることをみんなが知って、理解して、共に生きようと努力することが大切です。決して区別や違いを助長して「分断」させてはいけないのです。

                             (総主事:佐竹博)