2021年1月号の本欄に三浦大輔監督就任時の新聞広告の文章を紹介しました「喜びを与えたいんじゃない、届けたいのでもない、一緒につかみたいんだ。感動を与えたいんじゃない、一緒に感動したいんだ。あるべき監督像を追わず、自分らしくブレずにやっていく。引き受けたからには腹をくくり、前だけを見てつき進む。」
2024年秋、その通りになりました。横浜YMCA周辺はクライマックスシリーズから日本シリーズ、そして11月30日のパレードまで熱気に包まれ、たくさんの人が監督の言葉通りに一緒に感動しているようでした。ある「べき」監督像を追わずに4シーズンをぶれずにやり遂げた指導者像に学びが多くあります。「べき」には制約がつきもので他者に対しては強制するイメージを伴います。〇〇しなさい、こうでなければならない、など排他的なものがあり、とかく孤立を生むとされます。また自分に対しての「べき」は時に自分を追い詰めてしまいます。高い理想や目標が自分を未熟であるかのようにおとしめてしまい、自己肯定感を低くしてしまう怖さがあります。「すべき(should)」に対して「したい(want)」があります。相手の「べき」を否定しないので共感されやすいとか、「ではどうしたら…」を一緒に考えてもらえるなどの効果が期待されるそうです。そのような関係性になると行動についても「何をするのか(what)」から「なぜするのか(why)」に代わっていきます。目的をもって一緒に〇〇のために考えようという「べき」を排除した集団はチームとして成果を上げやすいということです。「与えたいんじゃない、届けたいのでもない、一緒につかみたいんだ。(中略)一緒に感動したいんだ。」と腹をくくって就任した監督が成果を出したことに納得するのです。
(総主事 佐竹博)