2023年1月5日木曜日

体験を平和につなぐ Vol.18

母の証言2 「逃げろ」の声で生き延びた

1945年4月末に、岡山医大の学生2人が部屋を貸してほしいと尋ねて来ました。主人も徹夜が多いので、2階の部屋を貸すことにしました。

1945年6月29日の夜中2時ごろ、主人は徹夜の仕事で不在でした。「バリバリ。ザアー」というものすごい音で目が覚めて、玄関へ出たら、町は火の海でした。警報も鳴らない突然の空襲でした。慌てて枕元にいつも置いてあるオムツ2組と貯金通帳を身に付け、赤ん坊を背負い、3歳の長男を抱えて玄関へ出たら、2階の2人の学生がトランクを持って下りてきたので、学生に長男を背負ってくださいと頼んだら快く承知してくれました。学生のトランクを庭の防空壕に入れて、私たちも防空壕へ逃げようとしたら、隣組の組長さんが大きな声で「逃げろ、逃げろ」と叫んでいました。

みんなの後について、南の田んぼの方へ夢中で歩きました。人家のない田んぼは、アリの行列のようでした。頭の上から火の玉がバラバラと落ちてくる中をくぐり抜け、体中がガタガタ、足はすくみ、生きた心地はしませんでした。広い畑に着くと、回りは火の勢いが強く、飛行機の音が聞こえ「伏せろ」と声がしました。私は背中に赤ん坊を背負っていたので、伏せたら子どもが危ないと思い、長男を前に抱いて姿勢を低くしてしゃがみました。

(厚木YMCA運営委員・厚木ワイズメンズクラブ 川口知幸)

※川口知幸氏からご寄稿いただいた川口氏お母様故川口アイ氏が「厚木YMCA平和を祈る会」にて話された内容ご紹介します。