2022年12月5日月曜日

体験を平和につなぐ Vol.17

母の証言1 岡山大空襲

1944年11月25日に次男が誕生しました。身重であろうと、産後であろうと、1週間に2回の防空演習には参加しなければなりませんでした。バケツリレー、消火訓練と私は赤ん坊を背負って参加しました。隣組というのがあり、近所の5、6軒が一組となり、組長さんが指揮を執っていて、食料から日用品一切が配給の制度で、組員が交代で行っていました。食料は1週間に3回ぐらい配給されましたが、ねぎ2本、大根1/4、白菜1/4ぐらいのわずかな量でした。肉や魚は1カ月に1回ぐらいで、3歳の長男と赤ん坊と主人と私の4人家族には、とても足りませんでした。農家に買い出しに行きましたが、高級な衣類を持っていかないと売ってくれない状況でした。東京から岡山工場に配属された人は知り合いがいないので、みんな不自由な思いをしました。1945年2月ごろには、空襲もだいぶ広がり、岡山のあたりも騒がしくなり、防空演習はだんだん激しくなりました。主人も徹夜が多くなり、田舎の方へ疎開する近所の人も出てきて、大きい民家が空き家になったあとを会社が社宅として借りていました。

(厚木YMCA運営委員・厚木ワイズメンズクラブ 川口知幸)

※川口知幸氏からご寄稿いただいた川口氏お母様故川口アイ氏が「厚木YMCA平和を祈る会」にて話された内容をご紹介します。