4月1日に新年度の職員始業式を、日本キリスト教会横浜海岸教会にて行った。創設の地で行った始業式の中で、同教会信徒でYMCA会員であった鈴木秀男さんについて『横浜YMCA百年史』(大和久泰太郎著)から紹介した。
鈴木秀男さんは、1884年生まれ、1902年に受洗し戦争反対の演説会を開催するなど平和を求める活動をしていた。1905年1月召集、同年7月1日に奉天にて戦死と、横浜青年第9号(同年11月)に掲載された、とある。日露戦争以降も約40年の間に、多くのクリスチャンやYMCA会員が戦争の犠牲になったことだろう。
横浜YMCAは、1930年代後半に入ると「時局特別事業」として、戦地への慰問事業を行った。大和久さんは、「平和を願いつつも国家によって戦いの中に組み込まれた多くの若者たちへの奉仕」を「日支事変に始まる中国大陸や、アジア各地への侵略戦争そのものへの考察にまでは及ばず、単純に戦線にある兵士への奉仕という観点から」この事業に関わっていったと指摘している。
戦後、横浜青年1952年8月号には前年に結ばれ、4月に発効された講和条約や日米安全保障条約を背景に会員の声として「あの日に誓った平和国家や文化国家の建設はいったいどうなったのか。戦争放棄とか民主主義とかの理想はいつの間にか行進曲の太鼓の音にとって代わられようとしている」との警鐘が寄稿されたとある(同百年史)。
「いつの間にか…」今も似たような状況にないか。他国の侵攻、紛争、有事の想定など多くの情報が人びとを不安にさせ、防衛費が増え、他国への攻撃が肯定されるようになっていないか。「あの日に誓った」こと、その想いを継承しなければならない。
(総主事 佐竹 博)