2023年10月5日木曜日

体験を平和につなぐ Vol.27

意識の差

 私の家族の歩みを振り返りますと、日本の植民地政策に加担した歩みであり、その威光のもとにあぐらをかいた生き方をしていた「加害者」の側にあったことを意識していなかった罪を心の痛みとして覚えるのです。毎年の8月、原爆の被災を思い、再び、核を用いることのない平和をと願っていますが、戦争における「加害者」と「被害者」の「意識」について考えさせられます。ある方から印象強い話しを聞いたことがあります。それは、「足を靴で踏まれた者は、踏まれたことを 何時までも忘れられないが、靴で踏んだ者は、踏んだ事など 間もなく忘れてしまうものだ」というたとえでした。これは「加害者」と「被害者」の意識の差があることを如実に示しています。

 日本人が、日清戦争にはじまる韓国の人びと、中国の人びとに、さらにアジア諸国の人びと行ってきた事柄について思い巡らすとき、日本人は「加害者」であったという「意識」が希薄であると思わされます。あるアジアの学者が、日本人を評して、次のように述べています。「(日本人とは、自らの)非を認めようとせず、相手の痛みを知ろうとせず、自らあるいは自分の父兄(ちちあに)の世代が犯した罪への反省と、被害者に対する償いの義務を感じない人種だ。」というのです。私は、この酷評をも率直に認め 受け入れ、反省すべきであると思わされるのです。

(元横浜YMCA常議員・元大和YMCA運営委員長 髙橋信夫)