2023年6月30日金曜日

韓国・光州YMCAから短期研修団来浜

韓国・光州YMCA短期研修団の5人の皆さまが626日から30日に、横浜YMCAを訪問しました。短期研修団の交流は4年ぶりでした。来日初日は、理事の方々やホストファミリーの皆さんと一緒に歓迎会を行いました。久しぶりの再会を喜ぶ様子や、ハングルや日本語と互いの国の言葉であいさつを交わし、会話が弾む様子がみられました。


27日には、関東大震災時の誹謗中傷によって犠牲となった朝鮮人の慰霊のため久保山墓地を訪れ献花と祈りを捧げました。その後、大和ライフサポートセンターや大和YMCA保育園、YMCA青山学院横浜英和小アフタースクールを訪問し、横浜YMCAの各事業の視察をしました。


翌日は湘南とつかYMCAYMCAとつか保育園、ワークサポートセンターアンジュとレザン、横浜AIDS市民活動センターを訪れました。それぞれの訪問先では、事業の様子や制度の仕組み、運営に関する質問などが積極的に寄せられました。




横浜海岸教会の教会員である5人の青年の祈りから139年前に横浜YMCAが始まりました。横浜海岸教会を訪問し、戦時中に鉄の供出を免れた鐘もお見せいただき、特別に鐘の音色も聴かせていただきました。梅雨の時期ではありましたが、お天気にも恵まれ、ホストファミリーの皆さまとも、よき交流の時間を過ごすことができました。

研修の後半には、富士山YMCAグローバル・エコ・ヴィレッジを訪れ、上海・光州・横浜YMCAの「平和の鐘」を鳴らし、共に平和を願いました。


30日早朝に富士山YMCAから羽田に移動し、無事に光州に到着しました。秋には横浜YMCAから光州YMCAへ短期研修団の訪問が予定されています。光州YMCAと横浜YMCAの交流が再開したことに感謝するとともに、このきずながさらに深まり、それぞれの地でYMCA運動が進められていくことを願います。                     
                          (国際・地域事業 柳原)

2023年6月19日月曜日

23年度 第3回 青少年指導者育成基金委員会 実施報告

23年度 第3回 青少年指導者育成基金委員会 実施報告


23年度第3回目の青少年指導者育成基金委員会を6月16日(金)に実施しました。


第3回目の今回は、夏に実施するキャンプに参加する青少年(リーダー)への研修にかかる費用を基金で支援するための面接を実施しました。

今年の夏も多くの子どもたちの参加申込があり、富士山YMCAと三浦YMCAを会場にキャンプを実施します。安全にキャンプを運営できるように大切なリーダー向けの研修会になります。ぜひ、リーダーたちの有意義な研修の場となるようお祈りしております。


横浜YMCA 青少年指導者育成基金(青少年基金)は、YMCAのプログラムにかかわる多くのリーダーたちの成長と、さらには地域活動の発展を願い、設置されました。


横浜YMCA青少年指導者養成基金についてはこちらから


今後も多くの青少年育成のために基金を有効活用していくべく、委員会を進めていきます。今後共どうぞよろしくお願いいたします。

(委員会事務局 加藤、宮澤)

2023年6月10日土曜日

ヘルシーキッズ&ファミリーキャンペーンで健康測定会を実施しました

 2023ヘルシーキッズ&ファミリーキャンペーン

健康測定会の実施報告

5月31日(水)、6月1日(木)の2日間でYMCA山手台センター湘南とつかYMCAを会場に健康測定会を実施しました。

今回のイベントは、ヘルシーキッズ&ファミリーキャンペーンの目的「健やかな心と身体を育む、また健康について考える機会」の一環として実施しました。

実施にあたっては、横浜YMCA賛助会の会員企業である明治安田生命様のご協力のもと実施することができました。ご協力ありがとうございました。


健康測定会では、普段なかなか測定することのできない①血管年齢、②ヘモグロビン量、③脳年齢の3つの測定を実施し、ご参加いただいた方からは、貴重な機会となりまた実施してほしいというご要望をいただきました。


今後もYMCAでは、通われている会員や地域の皆様に向けた様々なイベントを実施していきます。

(横浜YMCA健康教育部)

2023年6月8日木曜日

ウクライナの「ヴァレニキ」をみんなでいただきました

 横浜市内にはウクライナから避難をした多くの方が暮らしています。そのなかで緑区近隣で生活するウクライナのみなさんの、自由な活動の場である「みどりクラブ」が毎月行われています。

6月5日はクッキングを行いました。ウクライナにはいくつもの有名な料理がありますが、その一つが「ヴァレニキ」です。小麦粉でできた皮にマッシュポテトやキャベツなどの野菜や、ベリーなどを包んで茹でて食べます。水餃子に似ていると思い、前回のクラブで餃子を焼いたときに、市販の餃子の皮でマッシュポテト、ベリーをそれぞれ包んでみたところ、「ほんの少しだけヴァレニキだけど本物はもっとおいしいから、私たちが作りましょう」ということになりました。

 


強力粉と塩をこねて皮を作るところからはじまりました。ヴァレニキはそれぞれの家庭のレシピもあるようです。調理室からはみんなでワイワイとおしゃべりしている様子がうかがえました。そして2種類のヴァレニキが完成しました。皮はもっちりしていて、バターの風味が豊かにあり、サワークリームがトッピングされているところがウクライナらしいです。みんなでおいしくいただきました。



この日は、アロマテラピーの講師が参加してくださり、みんなで自分好みの香りをブレンドしたスプレーとロールオンも作りました。好きな香りに囲まれてリラックスできるといいなと思います。




「みどりクラブ」は、これからも継続して実施します。クラブでやりたいことは、参加するみなさんの提案により決めています。日本食を作ってみたい、という声もあがっています。


2023年6月2日金曜日

青葉まつり・被災地訪問研修

横浜YMCA保育園では、2011311日の東日本大震災後から子どもたちと一緒に出来る復興支援活動として仙台で昔から踊られている「すずめ踊り」を行ってきました。また、被災地に行き現地の方の声を聞いたり、保育合同研修では大川小学校語り部の佐藤敏郎さんを招いて講演会を行うなど、子どもの命を守るために何をすべきかを学んできました。

520日、21日には、仙台市、石巻市に行き保育園職員23名が被災地訪問研修を行いました。20日は、すずめ踊りの大きなお祭り「青葉まつり」に20195月の参加以来となりました。踊りを教えていただいたり、毎年3月に行っている復興支援イベントに仙台から横浜YMCAにいらして演舞を披露してくださっている「まつり宝山」の皆さまと一緒に参加しました。新緑の仙台の空の下を踊り、練り歩くのは感慨深く、気持ち良かったです。



21日は石巻市へ移動し震災遺構の大川小学校、門脇小学校を訪問し、送迎バスが津波にのまれてしまった日和幼稚園の石碑に献花しました。大川小学校では佐藤敏郎さんから、震災のこと、子どもの命を守るためにはどうすればいいのかなどについて話をいただき改めて考える時間となりました。 佐藤敏郎さんの話の中で「子どもの命を守るためには自分たちの命を守ることも考えてください」という言葉が印象に残りました。



今回の研修で学んだこと、佐藤敏郎さんからの学びと感じたことを、横浜YMCA保育園それぞれの園で共有し、子どもの命を守るために学びを生かし取り組んでいきたいと思います。
                                  (保育事業 杉﨑)






2023年6月1日木曜日

ハンドサイン

新約聖書には窮地に陥っていた人を助けた「善きサマリア人」のたとえ話がある。権力者や聖職者が見て見ぬふりをして助けなかったことと対照的に「その人を見て憐れに」思い、救助し介抱する行動に結びついたエピソードをたとえに「隣人とはだれか」をイエス・キリストが諭す。

今年もウォーターセーフティーキャンペーンが全国のYMCAで一斉に行われる。YMCAの水泳教室は大切な命を守るための水上安全教室と言っても言い過ぎではない。もしもの時には呼吸を確保し、「浮いて(救助を)待つ」ことが大切である。YMCAでは、水中で慌てず呼吸を確保することを重視し、泳ぐより前に呼吸法を指導する。水中でまずは口から息を吐くことから始め、次に口から吸って水中で鼻から吐く練習をする。地上と同じ呼吸法だが、水中だと意外と難しい。「んー」と水中で聞こえるほど踏ん張っても鼻から出ないこともある。指導者も根気よく何度も一緒に潜る。鼻から「プクプク」と空気の泡が一つ二つと出た時には感動し「ブクブクブク」と出れば共に喜ぶ。

今年度も水上安全ハンドブックを作成した。水辺の危険を知り楽しく過ごす方法や万が一の際にとる行動などの情報が掲載され、YMCAのWebサイトでも公開する。その中には水辺でのことだけでなく、自分の身に迫っている危険を知らせて救助を求める「ハンドサイン」を紹介している。開いた手から、親指をおり、次にすべての指をたたむ動作で、さりげなく人に知らせるサインである。周囲に気づいてもらうこのサインはもっと広く知られてよいのではないだろうか。窮地にいる人の隣人となる善きサマリア人のような人を増やすための働きもしていきたい。

 (総主事 佐竹 博)

体験を平和につなぐ Vol.23

丹東で生まれた私と父の歩み

 私は、朝鮮と中国との境の中国側にある「安東(現在の丹東)」の病院で生まれ育ちました。私の人生は父の歩みに影響されましたので父の歩みに触れたいと思います。1917年(大正6年)に青山学院を卒業し、中等学校の英語教師になることを望んでいました。ところが、ある宣教師の呼び掛けに応じ、まったく思いも寄らない朝鮮の人びとのためのミッションスクールに赴任しました。そこは、ソウルの南方約130kmにあり、以前、韓国の首都機能の移転先として話題になった「公州(コンジュ)」にある「永明学校」で校内ただ一人の日本人として、朝鮮の人びとの社会の中に過ごす毎日でした。その2年後、三・一独立運動、つまり1919年3月1日に起った朝鮮独立運動の渦の中に置かれることになりました。身の危険を覚えることはなかったようですが、日韓事情の資料によると、その学校の学生ら、またその地の公州教会の牧師も参加したと記録があり決して平穏であったとはいえないでしょう。

 父は、教師生活3年余の後、「ある人に勧められて」朝鮮総督府の職員となり、現在の北朝鮮・平安北道に赴任しました。その後、私が小学校に入学した年に、父は、「農業水利事業」の組織に身を移し、戦争末期に「米穀流通事業」の組織に移り、私が卒業した小学校の所在する「定州(チョンジュ)」の地で敗戦の日を迎えました。

(元横浜YMCA常議員・元大和YMCA運営委員長 髙橋信夫)