教育勅語
戦前、戦中の学校では祝日でも登校する日があった。2月11日の紀元節、4月29日の天長節(天皇誕生日)、11月3日の明治節である。この重要とされた祝日には、国民学校の生徒も登校し記念式典に出席した。祝日にはそれぞれ祝う歌があり、式でそれを歌う。次いで全員起立し頭を垂れている間に教頭先生が勅語の巻物を載せたお盆を捧げ持ち、壇上の校長先生まで運んだ。勅語とは天皇陛下のお言葉である。校長先生はうやうやしく巻物を開き勅語を朗読する。この間、全員頭を垂れたままである。当時ははな垂れ小僧が多かった。鼻水が垂れても拭けない。お言葉の最後「ギョメイギョジ(御名御璽)」を聞くまでひたすら我慢。これを聞いた途端、一斉に頭を上げる、鼻をすすりあげる音が講堂を満たした。戦争が激しくなる前は、それから記念のお菓子をいただき、帰る。もちろん授業はない。
読まれる勅語は教育勅語と呼ばれるもので、難しい言葉なので意味も分からず、生徒はこれを丸暗記した。幼児期に頭に入ったものは、なかなか抜けない。今でも「キョウケンオノレヲジシ」「ケンケンフクヨウシ」など口をついて出る。大東亜戦争(太平洋戦争)開戦の勅語も暗記した。これで生徒は神である陛下のため命を捧げる気持を強める。初等教育の影響は大きく、重要である。
(横浜YMCA元常議員 松島美一)