2021年8月5日木曜日

体験を平和につなぐ Vol.1

国民学校入学・卒業

「私は小学校に通ったことはない」と言うといぶかしい顔をされるが、事実である。私の入学した1941年4月から小学校は国民学校と改称された。名前だけでなく、教育内容も変わった。シナ事変と称された中国との戦争は既に始まっていたが、この年の12月には真珠湾攻撃があり世界大戦となった。生徒は小国民と呼ばれ軍国主義的教育、忠勇な兵士とそれを支える家庭婦人を育てる教育であった。5年生の8月敗戦、途端に教育内容は180度転換した。翌1947年3月卒業とともに国民学校は廃止され、六三制と呼ばれる新制度の小学校になった。従って私の学年は唯一小学校に行ったことのない学年となった。

10歳前後の児童にとり、一夜にして大人の態度が大転換したことは衝撃であった。昨日天皇陛下万歳、鬼畜米英を叫んだ人が今日は民主主義万歳、封建的制度反対を怒鳴る。昨日まで使用した教科書に今日は指定箇所の墨塗り。何のためと問えば、進駐軍の検閲があった時に、校長がクビになるとの返事。大人への不信が生ずるのは当然である。

日本の義務教育は旧制度で8年であったが、六三制で急きょ9年に伸びた。予算も人も準備も不足の新制度の教育はずさんそのもの、わが学年はその被害も受けた。大学進学後も教授連から六三制の学力低下を常に言われることになる。

(横浜YMCA元常議員 松島美一)