2024年6月17日月曜日

横浜YMCAグローバルセミナー 難民の?(ハテナ)を話す会 ご報告

6月20日は難民の保護と支援について世界的に関心を高めるために制定された「世界難民の日」に合わせて、6月8日に横浜YMCAグローバルセミナー「難民の?(ハテナ)を話す会」を開催しました。講師は、横浜YMCA国際事業委員・東海大学国際学部非常勤講師・かながわ開発教育センター(K-DEC)事務局長木下理仁さんを迎えて行いました。

セミナーでは、「難民」とはどのような人をさす言葉なのか、また日本の難民受け入れなどに関する木下さんの解説だけでなく、ワークショップを通して参加者自身が、疑問に思うことを出しあったりグループごとにテーマ別で簡単な議論をしたりすることで、参加者それぞれで「難民」について考え、理解を深めました。


はじめに「TAKOトーク」(二人組からはじめ次に、ペアの意見を他の人に紹介するという意見共有の方法)で各々の「難民の?(ハテナ)」を出し合いました。「難民とはどのような人のことをさすのか?」「難民認定が厳しいのはなぜか?」「避難民とは何が違うのか?」などさまざまな?(ハテナ)が浮かび上がりました。自分が何を知らないのか、知りたいのかを明らかにしてから木下さんの解説を聞くことでより分かりやすく深い理解をすることができただけでなく、他の参加者の知識や経験、?(ハテナ)からも得られる知識が多くありました。

後半のグループワークでは、「寄せ書きカフェ」方式(テーマについて気づいたことなどを自由に紙に書いていく方法)で三つのグループごとにそれぞれ「なぜ難民を受け入れるのか?」「なぜ日本への受け入れは難しいのか?」「難民への理解を広めるためには?」について話し合い、自由に自分の考えを書き残しました。どれも難しいテーマでしたが、書いたことで考えを整理し「何が大切か」をまとめることができました。


セミナーの最後に木下さんから「『難民』という『人』はいない。それがアイデンティティーになるわけでもない。“民”と聞くと遠い存在に思えてしまう。『難民』に代わるうまい呼び方はないだろうか。」という話がありました。「難民への理解」にはさまざまな課題が残っていますが、今回のセミナーを通して身近な疑問から「難民」について考えたことで、このセミナーが「難民」を少しでも自分自身と「近い」存在として認識するきっかけとなりました。


(ボランティアリーダー 武田)

2024年6月8日土曜日

ウクライナ支援 第17回みどりクラブ(2024年6月)ご報告

6月3日に 第17回「みどりクラブ」を開催しました。

以下、ウクライナユーススタッフのカテリーナさんによる報告です。

今回のみどりクラブでは参加者全員が日本料理である寿司作りに挑戦し、手作りの寿司を味わう機会となりました。

皆さんは、オーストラリアの料理専門誌『Chef's Pencil』の寿司ブームランキングで、ウクライナが日本に次いで2位に輝いたという興味深い事実を知っていますか?

 この15年の間に、ウクライナでは寿司を提供するお店が数多くオープンし、特に若い人たちの間で人気となっています。日本の「寿司」が、ウクライナの料理文化においては、見た目や味など、少しずつ変化していることは注目に値します。同じ料理がどのようにして新しい形に変わっていくのかをみるのはとても楽しいです。

今回のみどりクラブで、多くのウクライナの人にとって寿司を食べたことはあっても、「自分で寿司を巻く」という経験は初めてでした。特に年配の人たちは、このようなことを自分で準備したことはありませんでした。

参加者は、刺身、エビ、クリームチーズ、キュウリ、アボカドなど、自分たちで寿司の具材を持ち寄って、それらの具材をどのように組み合わせるかをお互いに披露し合いました。このような組み合わせはウクライナの人にとってはなじみのあるものですが、それを見ていた日本の人にとっては新鮮なものとして映ったようで、それもまた面白かったです。

調理中の雰囲気はとてもアットホームで、誰もが自分のやり方で寿司を作り、他の人と分かち合い、楽しい時間を過ごすことができました。

お寿司作りを楽しんだ後は、体を動かす時間です。みんなで輪になってストレッチをしたり、体を動かしリフレッシュしました。

みどりクラブでは毎回、みんなでおしゃべりをしながら何かをしたりして、幸せな気持ちで満たされるだけでなく、体操などを通して体も元気になっていくのがとてもありがたいです。

2024年6月1日土曜日

ぺんぺん草

 「神様がたった一度だけ この腕を動かしてくださるとしたら 母の肩を たたかせてもらおう」この詩画を描いた星野富弘さんが4月に神様のもとへ帰られた。体育教師としてクラブ活動中、落下により頸椎を損傷し手足が不自由となり、以降、筆を口でくわえ、詩画を描き始められた。けがの後に受洗した星野さんは、積極的に制作活動をされ、各所で展覧会なども開催された。横浜YMCAも周100周年記念事業の一環で40年前、1984年2月に横浜高島屋で星野富弘詩画展を開催している。

私はYMCA健康教育事業に従事していた約30年前に、研修で星野さんのことを知った。事故防止、そのための取り組み、事故を起こすことはどれだけ重大なことか、そのような点が強く印象に残り、「星野さんといえば『安全』のこと」だった。

星野さんにとっての願いは、不自由な生活の中でたくさんあっただろうが、それらの中から祈り求めて一つ選んだものが「ぺんぺん草」に表現された、お母様の肩をたたきたいという願いだったのだろう。「愛」の深さを感じる。

20年ほど前に、たまたま横浜キリスト教書店で「ぺんぺん草」と題のついたこの絵はがきを見つけた。それをきっかけに、星野さんの数々の詩画から多くを学んできた。この詩の後半は「風に揺れるぺんぺん草の実を見ていたらそんな日が本当に来るような気がした」と続く。

身近なことに着想を得て伝える感謝、他者への想いに学ぶこと、大きな願いを神様にゆだね、その希望を自然の小さな営みに見出すこと。美しい詩画から、物事の捉え方、考え方、生き方をこれからも見倣っていきたい。

(総主事 佐竹博)

140 YEARS OF HISTORY Vol.3 はじめての会議や演説会 (1886年)

1886年3月26日発行の「基督教新聞」によると「此度横浜基督教青年会を設け去月第二土曜日夜之に就き始めて会議を開き其規則を討議し其役員を選挙し即ち会長には熊野雄七氏、幹事に片山郁氏、書記には中田辨吉氏、、会計には北島五郎右衛門氏、商議員には藤生金六、八木常太郎、和田肇の三氏当選せられたり。又本月第一土曜日の夜は始めて演説会催し半田(開会の主意を述べ且つ青年諸君に臨む)中田(宗教の効果)八木(奮起せよ発奮せよ青年諸君)藤生(青年諸君に告ぐ)伊橋(基督教神学の必要を論ず)の四氏交々演壇に上りて演述せられ其外に河村武彦、小幡傳明の二氏は青年会の設立を祝する文を朗読せられたり(編者考。「去月第二土曜の夜」とは明治十九年二月十三日に当たる。)」という記事があります。このことは横浜YMCAが1884年10月に出立して約1年有余るささやかな活動をつづけた後青年会の名実ともに生誕をする準備・胎動をつづけていたといえるとあります。翌20年になるとフェリス和英女学校教師の高根虎松(後の法学博士高根義人)の入会援助によって会はなお発展したといわれています。そして発足当初から行っていた外へ向かっての演説会(講演会)には3000人の聴衆を集めたといわれています。(参考「横浜YMCA百年史」)

演説会は開設当初から続けられ多くの市民が集まった(1910年代)