2023年5月9日火曜日

体験を平和につなぐ vol.22

 7月7日と聞いて

 私が高齢者施設の管理者であった時に、昼食を利用者の方々と一緒に摂りました。そこで、ご高齢の方々の様子を見せていただきながら、交わりの時を楽しみにしてました。ある年の七夕の日に、テーブルでご一緒したご婦人に「今日は、7月7日ですね」と、声を掛けましたら、ご婦人は「あの日から、戦争の渦に巻き込まれてしまって…」と、おっしゃいました。「そうでしたね。盧溝橋の事件から中国全土に戦線が広がり、国民の誰もが苦労をしたその始まりの日でしたね」と、戦時中の苦労を聞かせていただきました。そのご婦人にとって、7月7日は七夕の思いよりも、あの日中戦争の始まりの日として、脳裏から離れられない日であったのです。

 7月7日と聞いて、盧溝橋事件のことを口にする方は、今は、ほとんどなく、ある年齢以上の方に限られると思います。それは、1937年のことで、当時、私は小学生でした。私の家族は、北朝鮮の田舎に住んでおり、「定州(チョンジュ)」という町の小学校に汽車通学をしておりました。そこは、「平壌(ピヨンヤン)」と、中国との国境の街、「新義州(シニジュ)」との中間点に位置してました。急きょ戦時体制となり、軍事輸送が優先され、軍用物資そして軍人・軍馬が列車で北へ北へと輸送されるのを目の当たりにしました。

 (元横浜YMCA常議員・元大和YMCA運営委員長 髙橋信夫)