12月、神奈川新聞にフィリピンから元戦犯が恩赦により帰国、再開し涙ぐむ親子の写真に関する記事があった。亡くなったと思った父との再会、母はすでに再婚し、弟も生まれ、両家庭のはざまにある長女を中心に戦争の影が続く記事だった。数日後、横須賀基督教社会館に阿部志郎さんを訪ねた折、その記事に関連し、大統領恩赦にはYMCAが深く関わっていたことを教えていただいた。年末に「小倉メモリアルクロスの記憶」(安東邦昭著・図書出版木星舎)の書籍を著者からいただいた。
戦後すぐに発足した小倉YMCAが、日本YMCA同盟とともに、戦犯の助命嘆願運動を行い、恩赦がかなう経緯が紹介されていた。内容によると、当時のキリノ大統領は日本軍に妻子4人を目の前で殺されており、大統領としても国民感情を代表する立場と、カトリック信徒としての信仰のはざまの苦悩が記されている。大統領による恩赦署名の前に、フィリピンから137名の交流団が来日する。東京から小倉まで各地を訪問しその歓迎と交流の様子が帰国後に報告され、その後大統領は恩赦に署名する。その一行は、鎌倉YMCA、横浜YMCAを訪問し、交流したと記録があり、この平和交流に関わっていたことを誇りに思う。恩赦後元戦犯たちは、引揚船白山丸で横浜に着いたと書いてあった。その時の写真が冒頭の神奈川新聞記事である。この数日の不思議な縁を思う。
引揚船白山丸にゆかりのある方がオンライン開催する横浜YMCA会員大会に登場される。横浜大空襲の語り部として活躍される中島知子さんは、看護師として樺太から帰ってきた白山丸を迎えた経験を持つ。平和を願う2月11日に行う会員大会に、ぜひご視聴ご参加いただきたい。
(横浜YMCA総主事 佐竹博)