1938年、私は小学校1年生でした。姉がフェリス女学院に入学しました。ミッション系の学校のため、教会の日曜日礼拝に出ることになり、私も姉に誘われて一緒に行きました。小学生当時の記憶はなく、姉も亡くなっているため、確認ができませんが、路面電車(市電)が通っていましたので、おそらく、日本キリスト教団横浜指路教会だったのではないかと思います。
私はその時に大きな収穫がありました。教会の3階で、讃美歌のきれいなハーモニーに魅せられました。初めて教会の門をくぐり、教会・聖歌隊との私の出会いでした。その時の光景とハーモニーが忘れられず、中学校でコーラスを組織し、大学生から現在まで聖歌隊のメンバーです。その後戦争がはじまり、教会は閉鎖されたため、教会を訪れたのは、戦前・戦中では、姉と行ったこの時だけでした。
学童疎開先の千葉にて高校に進むと、英語の先生が教会員の先生でした。1945年5月29日の横浜大空襲で、我が家は全部焼けてしまい、私はアメリカを憎んでいました。それを知った先生は、聖書の3つの箇所を私に教えてくれました。「汝の敵を愛せよ」「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」(マタイによる福音書5章)、「上着を奪い取る者には、下着をも拒んでははならない」(ルカによる福音書6章29節)でした。
(横浜YMCA元理事・常議員 茂木 雄)