2017年1月10日火曜日

総主事コラム ブログ 2017年1月

一粒の麦

私は、欠点がいっぱいあるのです
それも、みんないただいたものだから、
何もかもお任せして
後は最善を尽くして
今日一日自分に与えられた一日を
精一杯におくっていければ
それでいいんだと思うと心がとても軽い
(井深八重)

 大河ドラマ「八重の桜」で有名な山本(後に新島)八重と会津藩士の子、井深梶之助は、共に幕末の戊辰戦争で会津の鶴ヶ城に立て籠り官軍と戦い敗れた。その後、八重は、同志社創設者新島襄と結婚し新島八重となり穣の死後、日本で初めての赤十字の従軍看護師として晩年まで過ごした。
 一方、梶之助は、明治学院の総理となり横浜指路教会でも活躍した。兄娘の井深八重を育てた。八重は同志社を出て、高校教師となる直後に22歳でハンセン病と診断され、御殿場にある療養所に隔離された。当時は、顔や身体が削げ落ちるという病気の怖さや感染を恐れるだけでなく、その家族への社会的差別と偏見から戸籍を抹消し、家族やその地域に存在していた形跡まで消された。数年後、誤診であることが分かるが、極貧の中で患者に仕えるシスターの姿を見て看護師の勉強を志し再び療養所に戻り、生涯ハンセン病の方に寄り添い、ナイチンゲール賞を受賞している。
 この井深八重と若い時に出会い福祉の道を歩んだと今月号の対談で語られた阿部志郎さんは、福祉の現場に長年おられ晩年に、県立保健福祉大学学長になられた。父上も草創期の青山学院院長、兄上も慈恵医大学長と「青年時代の出会いと学びが人生を変える」と教育畑を歩む。八重のように全てを委ね、他者のために生きる喜びと日々新たに生きる感謝と希望を証している。
(横浜YMCA総主事 田口 努)