2026年9月2日水曜日

ウクライナユーススタッフがYMCAとつか乳児保育園を訪問しました

 8月7日、YMCAとつか乳児保育園を訪問し、ウクライナユーススタッフが子どもたちと保護者と交流しました。

 最初に、横浜YMCAでのウクライナ支援活動(横浜市緑区の近隣で暮らすウクライナのみなさんが母国語でつながり合える交流の場「みどりクラブ」など)について説明しました。

その後、参加者の皆さんとの距離を縮めるため、ウクライナの昔話「大きなかぶ」(ウクライナ語版)を紹介しました。おじいさんが大きなかぶを育て、それを土から抜くために、おばあさん、孫、犬、猫、そして小さなねずみまで、家族みんなで力を合わせるというお話です。

この物語には、「みんなで力を合わせれば、一人ひとりの力は小さくても大きな力になり、目標を達成することができる」というメッセージがあります。この考え方は、現在の厳しい状況の中で、私たちウクライナ人にとって特に心に響くものです。

 当日のお昼は、伝統的なウクライナ料理であるボルシチでした。そこで、ボルシチの材料を紹介し、それぞれの材料をどのように切り、どのような順番で調理するのかを、実際に見せながら説明しました。

      

保育園のみなさんが必要な材料をすべて用意してくださり、子どもたちが調理の過程を見られるように透明な鍋も用意してくださいました。子どもたちは鍋の周りに集まり、興味津々な様子で、楽しそうに調理の様子を見ていました。

遊びの時間になると、ウクライナの歌遊び「カメの歌を一緒に歌いました音楽に合わせて体を動かしました。

その後は、子どもたちと一緒におもちゃで遊んだり、屋上に上がって水遊びにも参加したりしました。子どもたちは絵の具を使って、水や床、大きな段ボールのキャンバスなどを自由に色付けしていました。足と手を使って、思い思いの絵を描いていました。


子どもたちがこれほど自由に自分を表現し、遊ぶことのできる環境と、そこから生まれる創造的な雰囲気を見ることができ、とても印象的でした。

 

昼食には、みんなでボルシチをいただきました。子どもたちは自分の好きな食べ物を教えてくれました。

私たちは一日を通して、楽しく交流しながらお互いをより深く知り、新しいことを学び、一緒においしい食事を楽しむことができました。ありがとうございました。

(ウクライナユーススタッフ)

小田原市主催の「平和を考える講座」に参加しました

 8月1日(土)と8月18日(火)に小田原市主催の「平和を考える講座」に横浜YMCAウクライナユーススタッフが登壇しました。

以下、ウクライナユーススタッフからの報告です。


8月1日(土)の第1部では、沖縄県の「ひめゆり平和祈念資料館」とオンラインでつながり、沖縄戦についてお話を伺いました。


当時の女学生は看護補助要員として働き、水も食べ物も十分にない厳しい状況の中で負傷した人々の手当てをしていたことについて、資料館の方からお話しがありました。


とても衝撃的な内容であり、戦争が起こる背景は国や時代によって異なっていても、その結果として、多くの人々が苦しみ、時には命を失うことになるということを、改めて考えさせられました。


特に印象に残ったのは、本来であれば勉強をしたり、友人や家族と過ごしたり、将来について考えたりするはずだった若い人たちが、戦争の中で生きることを余儀なくされたことです。それは第二次世界大戦の時代だけの話ではなく、今も世界のさまざまな場所で起きています。


そして、8月18日(火)の第1部では長崎県の「原爆死没者追悼平和祈念館」の方から原爆投下についてのお話しをオンラインで聞きました。

一瞬にして命や街がなくなる様子が目に浮かび、当時の状況を鮮明に感じました。

講演を聞きながら、当時の写真を見ることがとても辛く感じました。


写真に写っているような恐ろしい出来事を実際に経験し、その中で生きてきた、そして今も生きている人びとがいます。戦争は、遠くから見るニュースや写真ではなく、誰かにとっては現実そのものなのだと、改めて感じました。そして、死者数などの数字や統計の一つひとつには、必ず一人の人間がいるということを強く感じます。そこには、子どもがいて、母親がいて、父親がいて、兄弟や姉妹がいて、友人がいます。それぞれに夢や将来の計画があり、当たり前の日常を送っていた人たちです。しかし、ある日突然、戦争によってその日常や大切なものを失ってしまうことがあるのです。



また、8月1日と8月18日ともに第2部では、ウクライナについてお話ししました。


戦争が始まる前のウクライナでの生活、戦争が始まってからの避難の経験、そして現在日本で暮らしている中で感じていることについて紹介しました。また、戦争によって、ウクライナで暮らす普通の人々の日常生活がどのように変わったのかについてもお話ししました。


私たちは自分自身の経験を伝えるだけではなく、参加者の皆さんと一緒に、「平和とは何か」「なぜ今、平和について考え、語ることが大切なのか」について考える時間を持ちました。

参加者からは、平和があるからこそできる、当たり前のようでいて大切なことがたくさん挙げられました。


安心して眠ること、家族と一緒に過ごすこと、日常を送ること、好きなものやおいしいものを食べること、自分の好きなことをすること、学び、教育を受けること、自由と平等があること、外国の人々とも良い関係を築くこと、爆発音を聞くことなく、常に恐怖を感じながら生活する必要がないこと、そして、戦争のない環境で暮らすこと。


平和な国で暮らしていると、平和は当たり前のもののように感じられるかもしれません。しかし、自分の国が戦争を経験すると、平和というものをまったく違った形で考えるようになります。


今回の話し合いの中で、ある参加者が、


「平和とは、朝、恐怖を感じることなく目を覚まし、大切な人たちと一緒に過ごし、将来のことを考え、学び、働き、街を歩き、ただ普通の生活を送ることができること」


と話していました。


私はその言葉に強く共感しました。なぜなら、そこに挙げられていることは、特別なことではなく、誰もが必要とする基本的で大切な生活そのものだからです。


この話し合いを通して、平和とは、決して遠いところにある特別なものではなく、私たちが日々の生活の中で当たり前のように享受している、たくさんの小さな幸せによって成り立っているものなのだと感じました。


今回のような交流の機会は、戦争や記憶、そして平和について考え、語り合うことの大切さを改めて教えてくれます。


8月は、日本では平和の大切さについて改めて考える時期でもあります。そのような時期に、日本とウクライナ、それぞれの戦争の記憶や経験について語り合えたことには、大きな意味があったと感じました。

国や世代によって、経験してきた歴史や戦争の背景は異なります。しかし、安心して暮らしたい、家族と一緒にいたい、未来を考えながら生きたいという、人びとの平和への願いは共通しています。


私たちの経験やウクライナについての話が、日本の社会の中でウクライナやウクライナの人びとについて理解を深めるきっかけになればと思います。そして、このような交流を通して、一人ひとりが平和の大切さについて考えるきっかけが生まれることを願っています。


平和は、それを失ったときに初めて、その大切さを強く実感するものなのかもしれません。

だからこそ、私たちは平和について語り、記憶し、そして日々大切にしていく必要があるのだと思います。

(ウクライナユーススタッフ)

2026年9月1日火曜日

140 years of HISTORY Vol.30 阪神・淡路大震災ボランティア

1995年1月17日、淡路島北部を震源にマグニチュード7.3の地震が発生し、兵庫県南部を中心に壊滅的な被害をもたらした阪神・淡路大震災は、死者・行方不明者6,434人、負傷者43,792人、避難者は30万人(消防庁)を超えました。

横浜YMCAでは、地震翌日に阪神大震災対策本部を設置し、1月18日から募金活動を開始したほか、神戸YMCAや日本YMCA同盟との連携により西宮YMCAへの職員派遣、ボランティアの派遣、文具支援などを行いました。横浜YMCAでは、2月に学生や社会人など17人を第1回として派遣し、YMCA六甲研修センターに宿泊し、全国YMCAからの120人とともに神戸市長田区、西宮市、芦屋市などで支援に当たりました。また現地からの依頼を受け、芦屋市の小学校の避難所を3月まで主体となって運営すべく2グループ計13人を派遣しました。

その後は、全国YMCAが主管となり、建設されたボランティアハウスを利用しボランティアを5泊6日の単位で1回40人を25期にわたり派遣を続けるなど、人びとの直接的なニーズに寄り添う働きを行い、市民や行政から厚い信頼を寄せられました。

炊き出しや物資の配布など
救援活動にあたるスタッフを派遣した



係から

新聞の投書欄を毎日意識して読んでいます。ネット配信の記事やメールマガジンは、閲覧履歴や検索傾向から判断して「これはどうですか」「こんなのもありますよ」と次々に記事の方からやってきますが、自分の興味ないものに触れる機会は少ないです。同じ考えや意見を持つ人たちの集まりの中では、多様な意見を聞く機会は少なく、耳の痛い意見は避けてしまうかもしれません。

新聞の投書欄は、その人の背景や思想、ご自身の日常、社会のこと、感想から意見までさまざまにあります。新たな考えに出会うこともあれば、「そんなことはないだろう」と思うような内容に出会うこともあり、投稿を読みながら「自分だったらどう思うか」あるいは「この人にどう説明するか」などと思い巡らせる時間は、自分の頭で考える良いトレーニングの時間になっています。

さて、7月16日の神奈川新聞投書欄に「係から」とあったメッセージを引用します。「書いた人の憤りは分かるけれど、そのまま載せたら争いごとになりかねない投稿を、最近見かけます。『正しいと思うこと』を行う勇気は必要ですが、文章で相手を非難するときはまず落ち着いて。事態を改善したいのか、相手に気付いてもらいたいのか、投稿する目的を改めて考えてみてください。」たった135文字に相手への理解を示しつつ、持論を述べています。さすが!投書欄係。

これは、発信者が目標を明確にすることが大切であるということです。この「目的の明確化」について2つのことを思い出しました。学生時代にリーダーハンドブックの最初のページに書いてあった言葉として出会っていたこと、職員としてある会議で、言うだけ持論を述べた後に、総主事から「それで、あなたはどうしたいの?」と問われたときのことでした。私の今に至る大切な言葉です。